ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

住吉さんあたり(0)住吉大社・簡単ガイド(紀の国・ヤマトと津の国を結ぶ・古代航路の要衝)★

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古代の海側・西から大鳥居

津の国(つのくに)とは大阪の飛鳥時代ごろまでの古地名。

住吉大社は、先日紹介した石山合戦配陣図(本記事末に再掲載)の南端、地図の一番下、

勝間村(こつまむら、現在の岸里玉出あたり)より少し南、古代の海岸に面していた。

信長公の時代でも、西大鳥居は浅い海の中、イメージ的には厳島神社広島県)のような景色だったかも知れない。

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住吉大社・境内図(左北)

古代の創建時、ご神域のぐるりを水が取り囲んでいたのだろう。(生島足島神社(長野県)のイメージ)

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住吉大社・太鼓橋

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住吉大社・案内板

御祭神は航海と舟の三神。底筒男命中筒男命表筒男命。後に神功皇后が加わった。

私見も含まれるが、住吉は墨葦(すみよし)であり、墨色の深みもある潟海(澱み色)に葦が繁茂する景色、つまり、クニウミ表現である。(葦は「よし」とも読む)

今でも、隣接地は墨江という町名だ。

立地的には、北九州~瀬戸内海~津の国と、サカイ~ヤマト地方(三輪・御所・飛鳥)~紀の国を結ぶ古代航路の要衝になる。

ヤマト地方や紀の国には紀の川を遡上する。

ここに住吉さんが置かれた理由だ。

ホットな話題にこじつけると、古代沿岸航路のホルムズ海峡みたいなもので、航行料を徴収していたのかも。

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住吉大社・本宮境内

住吉鳥居を超え、社殿をのぞむ。住吉造の四つの本宮に、それぞれ御神体が鎮座する。

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第三本宮と第二本宮

第一本宮も造りは同じ(以前の記事をご覧下さい)

www.zero-position.com

通説(日本書記や古事記の記述、解釈)から神話部分を除き、さらに(一歩ぐらい?)進めて書くと、

住吉さんの男性三神は、宗像三女神イチキシマヒメタキツヒメ、タゴリヒメ)に対応していると考えている

そう考えるようになった経緯の説明がやや複雑であるため、いずれ書いてゆきたいと思う。

古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE

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石山合戦配陣図

石山合戦配陣図に現在の大阪を書き込み。御堂筋と四ツ橋のラインを伸ばしていったあたり。最下の勝間村より南に住吉さんがある。

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住吉大社・石舞台

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住吉大社・御田の早苗