ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

太陽のただ射す所にカゲができ、ヤタカラスのただ指す所にウラがいる 古代京都 「先」の出雲氏、「後」の賀茂氏

下鴨神社の「御蔭様、みかげさま、おかげさま」の謎について、下調べで、京都市考古資料館(京都市埋蔵文化財研究所)を訪問。

京都市バス今出川大宮駅前/京都市上京区今出川大宮東入ル元伊佐町265番地の1

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京都市考古資料館

https://www.kyoto-arc.or.jp/museum/www.kyoto-arc.or.jp

縄文~弥生時代の京都の遺跡分布。

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縄文・弥生時代の京都

下鴨神社あたりのY字型の「河合」の南に、もうひとつ鴨川と桂川の合流点があり、その南が「巨椋池おぐらいけ)」

巨椋池万葉集にも登場し、上皇天皇・公家の熊野詣りが盛んになった平安時代より、京都と難波間の淀川舟路の起点として栄えて以降、名所図会(江戸期)でも紹介される観光名所であった。しかし昭和初期の大干拓で水田化した後、一部宅地化し、今では高速道・京滋バイパスの巨椋インターチェンジで知られるぐらい。

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巨椋の入り江(拾遺都名所図会) 大正期(WIKI

パネルでは、巨椋池を低地に、現在の京都市中心部(北)に向かうほど高地に色分けされている。

縄文から弥生時代にかけて、北部の高地から南部の巨椋池に向かって居住地が広がった様子がうかがえる。

弥生時代の京都北部は有数の「出雲のクニ」だった

出雲井於神社(下鴨神社境内)の案内板に書かれていた「先・出雲族」・葛野主殿県主部(かどのとのもりあがたぬしべ)は、下鴨神社一帯を中心に、東山の北白川遺跡群、岩倉(弥生のパネル上、中在地)の「葛野郷」全域、つまり、

上京区より北側を勢力範囲にしていた

古代ヤマト(物部)勢力は南部・淀川からクニ造り

前方後円墳ヤマト王権の勢力エリアの目安と考えられ、古墳は「クニのサカイ」に造営される。

ヤタカラスの賀茂氏(後・出雲族)の協力を得たヤマト勢力は、

中京区より南側を勢力範囲にした

賀茂氏が協力した経緯は長くなるので別の機会に)

※地図:奈良盆地歴史地理データベースで作成

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京都・前方後円墳の分布(緑マーク)

西暦800年前後(奈良時代)の勢力図

やがてヤマト勢力が北部を飲み込んで行くが、相当な時間がかかったものと思う。

その後、京都は秦氏がからむ。物部氏丁未の乱(587)で滅んで以降、下のパネルのように変化する。

下鴨神社のあたり、面白い分布だ。

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丁未の乱以降 秦氏勢力拡大

このシリーズ(8)で出雲の女神ラインを引いてみたが、旧井上社は合流点(河合)付近、河合社(河合神社)も旧三井邸付近に鎮座していたと推理する。

下鴨神社では、出雲の神々(先・出雲族の信仰)は河合神社・六社(むつのやしろ)にまとめられた感じ。もともとそれぞれの社が一帯にあったのではないだろうか。

(左)河合神社・六社、(右)旧井上社は河合付近の黄ライン上。河合社も南にあったと推理。

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下鴨神社

結果的に、先・出雲族出雲氏は、今の下鴨神社の外に追い出された格好で、この図式は、

「後」の賀茂氏=太陽・ヤタカラス(八咫烏)に対し、「先」の出雲氏が御蔭様になった経緯を暗示しているのではないかと考えた。

太陽(ヤタカラス)のただ射すところには陰(カゲ)ができ、

太陽(ヤタカラス)のただ指すところには陰(ウラ)がいる。

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ヤタカラス=太陽=賀茂氏の暗示

人里離れた御陰神社。案内板。「太陽のただ射す所」の暗示。はじめ太陽の射す所がなぜ陰(カゲ)なのかわからなかった。

ヤタカラスが指す所なら陰(ウラ)、つまり、ここ(御蔭神社)じゃないかと考える。

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御陰神社 案内板

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浦の廻廊 ウラ・カゲの暗示

これとは別に気になるのが河合神社の「三井社」。

さすがに頭がまわらないが、古いご神域の河合に、旧三井邸があったのは単なる偶然なのだろうか。

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河合神社境内図 三井社 旧三井邸