糺の森(ただすのもり)、奈良の小川の奥に船形の「船島」という「シマ」がある。古代「シマ」は聖地を表す。
奈良殿神池(ならどのかみのにわ)という御祭神の降臨地または祭祀場があるらしい。御陰様が降臨するのだろうか?
以前は入れたようだが、今は禁足地で説明もなく、よくわからない謎めいた所。推理してみた。
古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE
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下鴨神社・本殿楼門。橋殿(左)楼門北側(右)楼門南側。
本殿の楼門の前、烏の縄手の北側、手水舎(てみずや)の裏・東側の一帯の森の中に「船島」がある(舩島と書く)
写真中央。舩島(船島)奈良の小川の源流あたりに船形の「島」が描かれている。
重要な御神域のようで、一般は入れないため詳細は分からないが、境内図では船の形をしているので「船島」と呼ばれているようだ。
船島をイメージさせる意図か、手水舎は船形、木の船で囲まれている。
下鴨さんにしては珍しく?境内図の説明は、謎な「〇〇〇・・・」で、唯一「復元された古の小川・奈良の小川」という立札だけが情報だ。
(立札より)この小川の上流に奈良殿神を祀る無社殿社地のナラノキの林を流れているところから奈良の小川と呼ばれています
御神域の船島は、奈良社・奈良殿神池(ならのやしろ・ならどののかみのにわ)と言われているようだ。
楼門前、橋の横、川辺の石段。ひとつの流れだがこちら側が「奈良の小川」、橋の向こう側は「瀬見の小川」。
禁足地であるということは下鴨さんの「奥」である可能性★★
情報はこれだけ。仕方がない。奈良殿を出雲式の「奥」と考えて想像を働かせてみた。
住吉さんと同じく、奥津ー中津ー辺津の女神ラインを探した。
考古学的に古代山背(やましろ)のこのあたりには出雲族のクニがあったことが考証されており、また、たくさんの女神様がいる神社だ。まったくの当てずっぽうではない。
考察のポイントは次のとおり。
● 船島を「奥津」と考えてみる
● 井上社(御手洗社)はもともと鴨川と高野川の合流地にあり辺津であったと考える。ただし古代は現在の合流地点と違う可能性がある。河合神社の南~旧三井家下鴨別邸(記事末写真)のどこかにあった可能性が高い。また御手洗社の御祭神は「瀬織津姫」で市杵島姫(いちきしまひめ)ではない
● 古代宗像(出雲)式では、奥津と辺津のライン上、中間のどこかに中津が置かれるが、ちょうどそのあたりに切芝神事が斎行される「切芝」がある
大阪・住吉さんのように「奥の天神・生根神社(種貸社)~おたき道・楠珺社~辺津の浮き島・浅沼社(市杵島姫)」のような「こん跡」と言えるレベルではないが推理してみた。
女神ラインを探す時は、まず、市杵島姫(弁天様)がどこに居られるかを起点にするが、
下鴨神社は「弁天様の居ない、むしろ珍しい」神社だ
しかし、河合神社の「美麗」は弁天信仰的であるように思う。それに河合社の御祭神・玉依姫は下鴨神社自体の御祭神でもあり、二重に祀られているのがやや不思議。それに境内の「六社」はおおよそ出雲系であるが市杵島姫が見えない。
以上のことから、弁天様が居ないのではなく、下鴨神社がリデザインされてきた中で、玉依姫または瀬織津姫に「差し替えられた」のではないかと推理(妄想)している。
竈神の奥津を「タゴリ姫」、宇迦之御魂神を「中津・タキツ姫(おたきさま)」と解釈すると、むしろ辺津・市杵島姫が不在なのが不思議。