ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

辰砂(しんしゃ)産地の解明から見えてきた古代の広域流通ネットワーク【理化学研究所 丹(水銀朱)原料の最新分析科学】

10月下旬~11月にかけて北陸・新潟・佐渡津軽・福島を巡り(仕事の合間に!笑)、「古代日本海文化」や「地下資源」をテーマに頭の整理、記事を書いているタイミングで、ニュースが飛び込んできた。

理化学研究所から、京田遺跡(島根県出雲市)の出土品に付着していた赤色顔料(水銀朱)の最新の精密分析の結果が発表された。

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京田遺跡は約3,500年前の縄文後期終末期の遺跡。(約3,300年前から縄文晩期、約3,000年前から西日本は弥生時代

水銀朱「丹(に)」は「ベンガラ」より鮮やかな赤で、珍重された。

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伊都国歴史博物館(福岡県糸島市

すでに複数の縄文遺跡から水銀朱の付着した土器・土偶が出土しており、原料の辰砂(しんしゃ、硫化水銀(HgS)鉱物)とともに、大陸由来説は否定されていた。

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詳しい話は、専門的なので、興味のある方は冒頭のリンク先を読んでいただくとして、箇条書きで整理した。

● 辰砂鉱石に含まれる硫黄(元素記号S)を精密測定することで、産地ごとに異なる硫黄の同位体比の違いから、産地を特定する新技術を開発した

● 京田遺跡の出土品に彩色された「朱」の硫黄同位体比を調べた結果、北海道で採掘された辰砂鉱石が使用された可能性が高いことが分かった

● 縄文時代後期に既に、北海道で採掘された朱がさまざまな経路を経て山陰地方にまでもたらされていた 当時の物資の流通ネットワークの存在 が示された

● ただし、朱そのものが顔料として山陰地方にもたらされ、現地で彩色されたのか、あるいは遠隔地で彩色されて本体と共に運ばれてきたものかは興味を持たれるところで、今後の解析が待たれる

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理化学研ページより 縄文時代の辰砂産地と硫黄同位体比値

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科学を基盤にした考古学のひとつの成果。

客観的な事実に基づいてシナリオ仮説を立て、検証を繰り返してゆくことで、今まで謎だった古代を再現できる。

文系・理系の壁を越えて、学際的な研究が必要な理由だ。

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ひとつ。縄文時代の「物資の流通ネットワーク」については「縄文時代の丸木舟(くり舟)日本海大交易圏」をシナリオに想定いただきたいと願う

「そもそも丸木舟でそんなことができるのか」といったご意見・ご質問を時々頂戴するが、「沿岸航路」の丸木舟を侮ってはいけない。木造りの「匠」にかかれば、下手な構造船よりもシームレス(水密)で軽量・頑丈、修理も簡単、取り換えもきく。かつ、強靭な縄文海人が操船すれば、モノを積んで、これほどスピーディ・自在に移動する手段は他にない。

この視点があればこそ、縄文海人が北米大陸にわたった方法・ルートも妄想できる。

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日本海交易ハイウェイと文化の浸透

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もうひとつ。佐渡の玉作を例に、縄文中期以降の分業体制(地盤産業化)を考えれてみればどうだろうか

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海人なら、完成品(着色した土器)を消費地に運ぶという面倒なことを考えないと思う。彼らは交易人であるゆえに合理的だ。量をさばくという意味で、顔料の水銀朱(丹)を運ぶことを選択しただろう。「だろう」なので仮説に過ぎないが、検証するには北海道の産地で、原料加工遺跡を探すという手もある。ネットワーク航路に近いという観点から、私なら北海道の「渡島」に近いところから探し始める。

丹の産地は地質構造線に集中

なお、よく知られた話だが、九州・四国・本州(西日本)の辰砂の産地は中央構造線に沿っている。

北海道も複数の大陸プレートが衝突する地質構造線に沿って、地表(近く)に鉱脈があらわれたところに産地が集中する。

古代は露天掘りか狸掘り(鉱脈に沿って無秩序に掘る)のはずだ。

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参考・過去記事

古代の日本海文化・カテゴリー

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古代日本の地下資源・カテゴリー

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