ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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【柿本人麻呂(1)】草壁皇子を悼みつつ、もう御一方を密かに悼む?★★【万葉集・雑考】

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大津皇子草壁皇子(緑表示は、生年~没年)

まとめ

大津皇子(反逆の嫌疑で自害)の後 #草壁皇子(病死?)。次世代が相次ぎ早世した時期の万葉歌を時間軸で並べてみました。草壁を悼んだ #柿本人麻呂 勾り池の水鳥の歌(2-170)は、大津の辞世・磐余池の鴨の歌(3-416)に巧妙に応答しているのかも知れません

目次

本文( ● 印は開物発事の古代妄想解説。文学的ではありません。笑)

巻3-416(大津皇子、辞世)【8月16日記事】

大津皇子が死を覚悟し磐余の池の堤で涙を流し作られた歌一首

ももづたふ 磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ

『磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を見るのも今日限りで、私は死んでゆくのだろう』

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巻2-165~166(大伯皇女)【8月15日記事】

大津皇子の亡骸を二上山に移す時、大伯皇女が哀しみお作りになった二首

うつそみの人なるわれや 明日よりは 二上山を弟背(いろせ)と わが見む

『現世に生きている私は、明日から二上山をあなたとして拝みましょう』

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磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに

『あの山の馬酔木(あしび)を手折って見せたいけれど、あなたに逢ったという人は誰もいない』

● 「磯」、磯城・磯長など大和平野の西側山ろく(葛城~二上、近つ飛鳥)を指し文脈的に二上山のことと解釈しています。馬酔木は早春に香りのよい花を咲かせますが、その季節に読んだ詩という意味でしょうか。大津皇子の自害は9月または10月

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馬酔木(あせび、あしび)AC

巻2-167(柿本人麻呂

● 日並皇子(ひなみのみこ)は草壁皇子のこと。サララは息子と皇統を争う関係にあった大津皇子を、天武天皇崩御後、謀反の罪で自害させた後、息子を皇太子として執政にあたらせていました。当時は皇太子(少し前まで大兄)が政務の中心。にもかかわらず、草壁皇子は早世します。その殯(もがり)の時、舎人(とねり、官人)の柿本人麻呂草壁皇子にささげた歌です(歌一首、短歌二首)

草壁皇子の葬儀の時、人麻呂が詠んだ長歌

天地(あめつち)の 初めの時し 久かたの 天河原に 八百万千万神の 神集(かむつど)ひ 集ひ座(いま)して・・・(中略)・・・高光る 日の皇子は 飛鳥の 清御(きよみ)の宮に 神(かむ)ながら 太敷(ふとし)きまして・・・(中略)

『天地始まりの時、高天原に八百万・千万の神々が集まって・・・(中略)・・・日の皇子のご子孫であられる天武天皇は明日香清御原に宮をお建てになって・・・(中略)・・・』

・・・我が王(おおきみ) 皇子の命の 天の下 知ろしめしせば 春花の 貴(とうと)からむと 望月の 満(たた)はしけむと 天の下 四方(よも)の人の 大船の 思ひ頼みて 天つ水 仰ぎて待つに いかさまに 思ほしめせか 由縁(つれ)もなき 真弓の岡に 宮柱 太敷き座し 御殿(みあらか)を 高知りまして 朝言(あさこと)に 御言(みこと)問はさず 日月の 数多(まね)くなりぬれ そこ故に 皇子の宮人 行方知らずも

『我が君の 草壁皇子 が天下を治めれば、春に花が咲くように、満ちる満月のように世は栄えたでしょう。人々は心待ちにしていたが、どうかなされたのか。真弓の岡に柱立て、殯宮(もがりのみや)を造られて、朝のお言葉を聞くこともないまま、月日が過ぎ、それゆえに皇子の宮人は途方に暮れています』

巻2-168~169(柿本人麻呂

長歌につづく短歌(返歌、二首)

ひさかたの 天(あま)見るごとく 仰ぎ見し 皇子の御門(みかど)の 荒れまく惜しも

『仰ぎ見る皇子の宮が、荒れてゆくかと思うと、無念でならない』

あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜(よ)渡る月の 隠らく惜しも

『日は照るが、月の輝きは見られないのがとても無念です』

巻2-170(柿本人麻呂

島の宮 勾(まが)りの池の放ち鳥 人目に恋ひて 池に潜(かず)かず

『島の宮の勾りの池で飼い主のいなくなった鳥たち、人目が恋しくて池にもぐらない』

● これは有名な歌ですね。草壁皇子の「島の宮」は飛鳥川ほとりの島庄遺跡と推定されています。私は用明大王の池辺大宮があった所と妄想しています。池辺大宮のあと、草壁皇子の宮として利用されました。

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巻2-171~193(草壁皇子の宮の舎人)

草壁皇子の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首

● 舎人とは宮に使える官人。帯刀していたようです。人麻呂の作品(巻2-168~170)をさきがけに、舎人たちが草壁皇子の死を悼んで寄書きのようにつくった挽歌が23首続きます。数えてみると「官人を水鳥に譬えた歌」は5首ありました。

巻2-172。(2-177、180、182、192は省略)

島の宮 上(うへ)の池なる放ち鳥 荒(あら)びな行きそ 君いまさずとも

『放ち鳥たちよ。皇子がおられなくても、すさんで行くなよ』

古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE

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鴨 AC