はじめに
遣唐使留学から帰朝した #弘法大師 #空海 が、高野山の開創を目指し水行したのが #閼伽井池。しかし火災や疫病に見舞わた時、再びこの地で水行をして石造の #閼伽井不動明王 を祀り、無事、高野山を開山したと伝えられます。#笠山荒神社 山域のもうひとつ、御神水 #鏡池にも行ってみました
目次
本文
閼伽井(あかい)不動尊
山頂の笠山荒神社を中心に鷲峯山(じゅぶさん)の山域、南の閼伽井(あかい)池の閼伽井不動尊。
荒神社のパンフレット・文字起こし)弘法大師空海は、遣唐使の留学生から806年に帰朝。高野山建立を志し当山笠寺に寄寓され、ここ閼伽井池で21日間の行を修められます。その後、空海は高野山を開基するも火災、疫病などに見舞われ、再びこの地で水行をなし、石造の不動明王を祀られ、高野山に戻り、笠荒神を勧請(かんじょう、神様をお呼びすること)、障碍なく開山したと伝わります。この荒神を奉祀されたのが立里荒神(吉野郡野迫川村)*1といわれております。以降、閼伽井不動明王と称され、閼伽井の池は霊験著しい霊場として知られ、篤信家の参拝は耐えることがありません。閼伽井の池は表参道入口傍らにあり、荒神参拝に際しての浄めの水に用いられております。
前回記事で「笠山荒神社の参道が高野山に雰囲気が似ている」と書きましたが、帰朝後間もない空海さんの修行の場であったことと関係があるのですね。
閼伽井不動尊、閼伽井池
境内の社
鏡池(心見の池)
冒頭の案内図、閼伽井不動尊から少し離れていますが、笠山荒神社の山域にはもうひとつの御神水の鏡池にも歩いてゆきました。
聖武天皇の時代に大仏建立に際して、障碍が多かった時、荒神を祀るべしという掲示を受けて、良辯(ろうべん)僧正が笠山にのぼり、この池で七日七夜のみそぎを行ったとされています。
鏡池は猿沢の池(大仏殿近く)に通じており、池に落ちると猿沢の池に浮かび上がる、二月堂のお水取りでは鏡池の水面が低くなり、その水が二月堂の清浄水になるとの伝承があります。