はじめに
今年5月は閉堂中だった #四天王寺 #三面大黒堂 にお詣り。#密教。仏教とヒンドゥー教が習合した姿、日本で平和に変化したスガタをうかがうことができます。#トリムルティ #三神一体 #大黒天 #弁財天 #毘沙門天
目次
本文
大阪では四天王寺さんに参ることを、てんのじ詣りといいました。
四天王寺さんが閉堂されていた今年5月に訪問し、大提灯とダイコンの御紋を紹介した三面大黒堂に、あらためてお詣り。
大黒さまやオオクニヌシをイメージする人も多いと思いますが、もともと、大黒天はインド・ヒンドゥー教のシヴァ神の化身、マハーカーラ(魔訶伽羅天)のこと。
『魔訶』は、先日紹介した般若心経の冒頭にも登場する「大きな、偉大な」の意で、シヴァは破壊神です(怖いですねぇ)
お堂の説明板(記事末に一部文字起こし)で紹介されていますが、大黒天は最澄さん(伝教大師、天台密教)が日本に持ち帰りました。
日本では、室町時代にオオクニヌシと神仏習合して、時を経て、平和な江戸時代に、にこやかでふくよかな大黒さまとして庶民に親しまれるようになりました。
三面を持つ理由
ヒンドゥー教では、大きな世界観(宇宙観)として、ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァの3神を『創造・維持・破壊』のサイクル理論で神格化したトリムルティ(三神一体)という考え方が根本です。
三面大国堂では、なぜか、大黒天(大国さま)、弁財天(弁天さま、ヒンドゥーでは女神・サラスヴァティー)、毘沙門天(四天王の多聞天)の組み合わせで、七福神にも起用される三神一体で「家内安全」「福徳安全」「商売繁盛」の縁起の良い平和で身近なスガタに。
なお、このトリムルティは、空海さん(弘法大師)の真言密教では、竈(かまど)の神さま、荒神さんとして神格化されました。
竈の荒神さんについては、先日、ノベルデイズの方で、書きましたので、よかったらご覧ください。
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インドで仏教が存在したのは紀元前500年ごろから西暦1200年ごろの約1700年間(だけ)。そのうち最後の700年間はヒンドゥー教と習合した 密教 として発展したので、西暦500年代に日本に渡来した仏教は、実ははじめから密教的要素を含んでいたということになります。
例えば、聖徳太子が創建した四天王寺さんの、四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)は、元々、ヒンドゥー教の神々。
お堂内見学
お堂内は撮影禁止。報告だけ。
御本尊の三面大黒像は、ご縁日に開帳されます。
御本尊の脇に、象(エレファント)に乗った普賢菩薩と、獅子(ライオン)に乗った文殊菩薩を脇侍にして、大きな『大黒さま』が置かれています。
本来、お釈迦様の脇侍の二神ですが、ここでは釈迦如来が大国さまに変わっている点が面白いですね。
説明板より)『縁日には、加持された黒豆七粒をお米と炊き、家族で分けて食べると無病息災で過ごせるという風習があり、現在も月に一回の縁日にお詣りすると、法要にて加持された黒豆七粒が配られる』
説明板(一部文字起こし)
建立不詳、再建嘉永二年(1849)
一部文字起こし)・・・大黒天は、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラ(魔訶伽羅天)が元となり出来た密教の神であり、古代インドでは荒々しい戦神であった。向かって正面に大黒天、右面に弁財天、左面に毘沙門天の三面を持ち、三面大黒天と呼ばれる。また仏教の天部の神として位置づけられており、一日に千人の僧を養う功徳を得るということから、わが国には、伝教大師最澄が天台山から持ち帰り、当初は主に天台宗で信仰された。室町時代になると、真言宗や日蓮宗など他宗においても盛んに信仰され、のちに大国主命と神仏習合して、七福神の一神として庶民に信仰されるようになった、日本の大黒天は、微笑の相が加えられ、さらに江戸時代になると米俵に乗り福袋と打出の小槌を持つ、一般にも良く知られた長者形で表されることが多い・・・