はじめに
もともと #北野天満宮 あたりは初期平安京内裏の北東そばの地でしたが、清涼殿落雷事件を機に都の中心は東に移ってゆきます。後、北野の地は鬼や魔物が棲む所に。その始まりは、ツノのある牛が变化した鬼神、そして蜘蛛であったのかも知れません
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北野天満宮の鬼伝説
先日紹介した清涼殿落雷事件の「雷神」のほか、北野天満宮あたりには、源頼光(みなもとのらいこう)と頼光四天王(渡辺綱や坂田金時など)の鬼退治伝説がいくつか残されています。
ひとつは、一条戻橋で渡辺綱(わたなべのつな)が名刀・髭切丸(鬼丸)で切った鬼の腕が落ちたところという伝承が残る渡辺綱の灯篭。
渡辺綱の髪を掴んで空を飛んでいた鬼は、愛宕山に向かってに空を飛んでいるときに、ちょうど北野天満宮の上空で、綱に腕を切り落とされました。
能で、土蜘蛛が、手のひらからパァ~ッと蜘蛛の糸を繰り出すシーンをご存じの方も多いと思います。
「土蜘蛛」のあらすじ)病に臥せる源頼光のもとに、ある夜、蜘蛛の化身が現れて襲いかかり、頼光が枕元の名刀・膝丸で切ると蜘蛛は消えます。血痕をたどって行くと、北野天神裏の古い塚に土蜘蛛がおり、頼光四天王が退治しました
平家物語(剣の巻)に書かれた名刀の由来話を下敷きに、能の演目になった物語です。
北野天満宮境内(東向観音寺)に、物語に由来する土蜘蛛灯篭があり、謡曲史跡保存会の案内板が建てられています。
案内板には、この灯篭は、もともと北野天満宮の境外・南の一条通り辺りにあったものを、祟りがあるとして東向観音寺に奉納したもの、と書いてあります。
参考までに、伴氏廟の大きな五輪塔は、もともと北野天満宮境内、菅原道真公のお母上(伴氏)を祀る伴氏社にあったもので、明治期にこちらに移されたものです。
【シリーズ3回目中「官公のご先祖は土師氏」で伴氏社】
土蜘蛛は古代ヤマトに対して「まつろわぬ者」とされた縄文血統の人々のことと考えられており、司馬遼太郎さんのエッセイ(穴居人)で紹介された事実が、現時点の私の妄想見解の基礎でもありますので、リンクを貼っておきます。
国栖、葛城、そして北野(初期平安京)。いずれも各時代の都の近くに居住していた穴居人というのが、土蜘蛛と云われた人々を考察する時のポイントと考えています。