古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE
前回の続き
(左)神原の地元有志作成の案内板(守屋山を北に描いている)
(右)「諏訪大社上社前宮神殿跡」説明板(作成者:長野県・茅野市教育委員会)
神原(こうばら)は諏訪大社の神体と同一視された大祝(おおほおり)代々の居館であった神殿(ごうどの)があった所。
旧暦三月酉日(とりのひ)の酉の祭を始め、上社の重要な神事のほとんどがここで行われたという
やはり妙に思う点が2つある
● 上社(二宮)だけの重要な神事(酉の祭)があったこと
● (上社建立が587年(用明二年)だとして。前回)「大祝」という神格化された一族がいたこと自体、驚き
上社だけの重要な神事とは、上社が下社とは別の目的の神社だったことを物語っている。
その上、聖徳太子が仏教で統一国家を目指した時期に、都から遠いとはいえ、神道、中でも、よりにもよって神さまのような一族を認めていたかのような話。
これに飛鳥の「祝部(ほおりべ)」の話を重ねてみると、ひとつの古代(飛鳥)ストーリーが浮かび上がってくるが、それはいずれ。
ここでは、大祝が物部氏(生き残りの末裔、祝部)と考える理由について。
弥栄の鈴(いやさかのすず)八栄鈴とも書く
(左)諏訪大社の神宝・弥栄の鈴(Wikiより)、(右)古代に収められていた内御玉殿
※説明板・文字起こしは記事末
「鈴生り(すずなり)」は物部氏の祭祀のシンボル
物部氏の氏神は石上神宮(奈良県天理市)。拝殿正面に鈴のついた榊が祀られている。
著鈴榊(ちゃくれいのさかき)には、鎮魂際・玉の緒祭で込められた十種神宝の霊力が宿っているとされている。
ひとふたみよいつむゆななやここのたりや、ふるべ、ふるべ、ゆらゆらとふるべ
唱えれば、死者でもよみがえる呪文のような言霊(ことだま)。
著鈴榊はこの時に振られ(布瑠部、ふるべ)、霊力がこめられた鈴の音が鳴る。
鈴はいくつもの鈴が成った「鈴なり」でなければならない。
リンリン(シャンシャン)とすずやかな音が、降り注ぐように響かなければならない。
弥栄の鈴は「三鈴の鈴なり」だ
(左)石上神宮・布瑠部の御鈴守
諏訪大社の御神紋「梶の葉」のデザインベースは「弥栄の鈴」と考えられる。
日本の古代史で、鈴なりを神器としたのが物部氏。
大阪城の地にあった古代の生国魂神社(現在地は大阪市生玉町)での新天皇即位の儀式、
八十島祭(神事)でふっていたのは、「弥栄の鈴」と同じ「鈴なり」だったと推理している。
それほどの権威には、それに見合うスピリチュアルパワーと霊的配置でもってしか守屋(物部氏)の「巨大」な怨霊を鎮めることができなかった。
それが、諏訪大社上社造営、守屋山・守屋神社配置の動機、大祝登場の背景であったと妄想している。
物部の古式は神楽鈴として残っている(大阪・高津神社夏祭りにて)
このシリーズ(信州と大阪)はいったん終わります。
文中書いた「古代(飛鳥)ストーリー」についてはあらためて書きたいと思います。
諏訪大社・上社についても、また別に書きたいと思います。
内御玉殿の説明板・文字起こし
諏訪明神の祖霊がやどるといわれる御神宝が安置されていた御殿である。「諏訪明神に神体なく大祝をもって神体となす」といわれたように諸神事にあたってこの内御玉殿の扉をひらかせ弥栄(いやさか)の鈴を持ち真澄(ますみ)の鏡をかけ馬具をたづさえて現れる大祝(おおほおり)はまさに神格をそなえた現身の諏訪明神そのものであった。
*(開物追記)「真澄の鏡」は門外不出、誰も見ることがないという謎の鏡。三種の神器・八咫鏡と同じだ。ネットで蓮華紋の鏡が検索されるがあれは違う。実体がまったくわからないものだが、ひとつだけ言うと、鏡は物部氏の神器の重要な要素だ(十種神宝のうち。興津鏡、辺津鏡)
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