はじめに
名前は残るものの事蹟が伝えられない第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8人の天皇を #欠史八代 といいます。葛城地方にはそのうちの何人かの大王の史跡が残されています。第6代 #考安天皇(クニオシヒト)#玉手丘上陵 #考安天皇社
目次
本文
昨日、第六代考安天皇(国押人尊、くにおしひとのみこと)の宮があった伝えられる室八幡神社を紹介しました。
本日は、宮内庁が考安天皇の御陵と治定(じじょう)する 玉手丘上陵 一帯を紹介します。
(34.45472925606907, 135.74939995205)奈良県御所市玉手675 JR和歌山線・玉手駅から徒歩約10分(近鉄御所駅からJR御所駅に乗り換え。一駅)【車】御所駅から約10分。
私は車でお詣り、満願寺(南側)の方から金毘羅神社の鳥居をくぐって玉手丘上陵に登りました(玉手駅からは北側から登ることになります)(満願寺駐車場:34.45382462255115, 135.74853630039289)
考安天皇社の向かい側に金毘羅神社。奥行きの深いお社でした。鳥居の向こうに見えるのは割拝殿。御本殿はさらにその先にあります。
お詣りの後、孝安天皇 玉手丘上陵に向かいます。
孝安天皇 玉手丘上陵
(34.45523105715064, 135.74904890948042)
御陵に向かう手前、森の開けたところに鳥居と小祠。木々の間から朝の日が漏れ、幻想的な景色。
鳥居には「御大典記念」「大正四年十一月之建立」と刻まれていました。考安天皇を慰霊する所かも知れません。