はじめに
近鉄笠縫(かさぬい)駅から徒歩約10分。秦一族のかつての居住地であった #秦庄(はたのしょう)の #秦楽寺(じんらくじ)。境内東南隅に倭笠縫邑伝承地のひとつ #笠縫神社(春日神社に隣接)。
目次
本文
(秦楽寺:34.54394971356749, 135.7921976611382)/奈良県磯城郡田原本町大字秦庄267番地/近鉄笠縫駅から徒歩約10分
前回紹介した、天皇の宮殿で同床していた最高神アマテラス(御神体)が、八咫鏡(やたのかがみ)として伊勢に向かって旅立った(第10代崇神天皇~第11代垂仁天皇の時代)という 倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)伝承地のひとつです。
今は小さな祠で案内もありませんが 笠縫 地名の古い時代の氏神であったと考えられます。
【前回記事】
秦楽寺(じんらくじ)縁起
略縁起・文字起こし)当寺は推古天皇御宇(554-628)聖徳太子の家臣・秦河勝(はたのかわかつ)*1の創立せる古刹*2であって、寺伝を按ずるに、太子在世の頃、百済国王より西天笠仏工・毘首加都羯磨(びしゅかつま)の彫刻せる千手観音像を、太子に進献され太子はこれを秦河勝公に賜れた。河勝公も信心篤く二十町方の地に七堂伽藍を建立し仏徳を講じ益々信心を深め。本尊法楽の道場とされた(是れ秦楽寺称号の所以なり)。また伝説ではあるが弘法大師も当寺に立ち寄られ、大師の名著「三教指帰(さんごうしいき)*3」の書は当寺にありて撰述されたとされている(以下略)
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秦楽寺案内・文字起こし)(前略)付近一帯は大字秦庄(おおあざはたのしょう)といい、秦氏の居住地であった。秦楽寺の「楽」は神楽や猿楽のなどの「楽」であり、秦楽寺とは、秦の楽人の意である。「風姿花伝」の大和の猿楽四座の由来を記した条に、秦楽寺の門前に金春屋敷があったとあり、金春家は秦河勝の末裔と称していた。表門は珍しい土蔵門で中国風造りである。境内に、大和三楽寺の三池の一つである梵字『阿』をかたどった阿字の池がある。寺伝によれば弘法大師が『三教指帰』というお経を執筆中、蛙の鳴き声がけたたましかったのでこれを叱ったことから、それ以来この地では蛙の声はきかれないという 田原本町
秦楽寺(じんらくじ)境内
御本尊は、百済国から聖徳太子に献じられ秦河勝が太子より賜った千手観世音菩薩立像とされていますが、現在のものは、平安時代作。
梵字の『阿』の字をかたどったという 阿字の池。
弘法大師が騒がしかった池の蛙を𠮟って以来、鳴かなくなったと伝えられています。
『蛙が鳴かなくなった』という伝承は、大阪四天王寺の七不思議(芦分舟)のひとつにもあり、共通して何かの史実を暗喩しているのではないかと妄想しています。