ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【桂渕神社(2)】山の神のお社に飾られた大わらじとまさかり【山神 大山祇尊】【津軽各地の大人伝説】

青森県東津軽郡外ヶ浜町 #桂渕神社の二回目。隣接して #大山祇神(おおやまつみのかみ)を祀る #山の神 のお社。堂内には #蟹田川 上流域 から遷座した #山神様(磐座か?)。奉納物の #大わらじ と #マサカリ が目を引きました #大人伝説

目次

本文

【前回記事】

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山の神のお社

(41.0468133, 140.6243804)/青森県東津軽郡外ヶ浜町蟹田中師桂沢030/青森市から外ヶ浜沿いに国道280号線を北上。中泊町方向に左折する県道12号線沿い。青森市から車で約40分。駐車スペースあり。

桂渕神社に隣接した山の神のお社

御祭神:山神・大山祇尊(おおやまつみのみこと)

御神体のそばの石碑には『山神大山祇之尊 昭和四十二年九月 砂川沢上流より下山』と書かれています。

山の神のお社(桂渕神社)御神体の石神様

調べてみると、砂川沢は桂渕神社から西に10キロ以上離れた蟹田川の上流ですから、ずいぶんの距離を下山し、この地に祀られたようです。

砂川沢は桂渕神社から西に10キロ以上

桂渕神社そば 山の神のお社

御神体の石神様が鎮座する祭壇の奥には、奉納物が置かれていましたが、中でも大きなわらじとマサカリが印象的。

祭壇の奥に飾られた大きなわらじとマサカリ

この参拝の前日に、青森市内の古本屋さんで手に入れた「陸奥の伝説」を読んでいたので、これらの奉納物にピンと来るものがありました。

『中山の大人(おおひと)』の言い伝え

文中の「中山」とは津軽半島の東側を南北に縦走する中山山脈(梵珠山脈)のことで、先日紹介した津軽半島の大蛇に例えられる山地です。

陸奥の伝説、森山泰太郎編著」の記述より(160ページ)

むかし、六郷(北津軽郡鶴田町)のある農家では、毎年旧暦九月二十八日の刈上げの節供に秋餅をついた夜は、家族を早く寝かせてあるじがひとりで、大人(おおひと)が来るのを待つしきたりであったという。夜中に「オドア(主よ)今来たじゃ」といって、大人がはいってくる。するとあるじは、「よく来た、早くはいれ」といって中に招き入れ、「餅をうんとついて待っていた。またタキギを背負って来てくれたべ」などといって、大人に飲食させて歓待する。夜も明けかかって、一晩鶏が鳴くと大人は帰って行くが、このとき大人は、山からタキギをどっさり背負って来て、この家の周りに積んで行ってくれるという。これは中山(北津軽郡の梵珠山)に住む大人だと伝えている。

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大きなわらじとマサカリは、山神の大人(おおひと)・大山祇(おおやまつみ)の神 の持ち物と推察されます。

本で紹介されている鶴田町は山系の西(津軽平野側)で、山系を挟んだ北東(外ヶ浜川側)の桂渕神社は正反対ですが、中山山系はもちろん、津軽を含む青森県山麓には似たような大人伝説があります。

共通するのは、大人(おおひと)は 、山の福(タキギ・マキ…マサカリで採る)をもたらす 来訪神 であること、ごく限られた人としか交流しないことでしょうか。

家の周囲に、タキギ(マキ)をたくさん積む=山積みすることから、大山祇神オオヤマツミノカミ)の名で呼ばれるようになったのかも知れませんね。

岩木山の大人」は津軽平野に広く残る(相撲をとる)鬼伝説の流れを引いているようです。

『八甲田の大人(おおひと)』の言い伝え

同じく(159ページ)

青森市の南に連なる八甲田連峰に大人が住んでいるといわれるが、むかしから誰もその姿を見たものがないともいわれている。八甲田のふむとに近い横内村(青森市横内)のある家のあるじが、むかし正月元日の夜中に、どうしても寝つかれずにいると、どこからはいって来たのか、大きなヒゲづらの男が枕元に立っていた。その大男はあるじに向かって、おれが里に来て姿を見せるのはお前にだけだ。おれはお前の心がけのよいのに感心して来たのだ。土産にマキを庭に積んでおいたが、誰にもおれのことをいってはならぬぞ、といった。あるじは、よい所に来てくれた、正月の餅もあるので、どうか食べて行ってくれと差し出した。大人は大いに喜んで、来年もまた来るぞと約束して帰って行った。それ以来、毎年正月になるとこの家に大人がやってくるが、あるじの外は家族もこのことを知らなかったという。

岩木山の大人(おおひと)』の言い伝え

同じく、岩木山の大人の伝説(158ページ)

むかし、弘前市鬼沢の弥十郎という者が、タキギを取りに岩木山のふもとにはいったところ、大人というものと親しくなった。山で仕事もせず、大人とすもうなどとって帰るのであったが、一夜のうちに家の裏に、大人がタキギを山のように積んでくれた。弥十郎は大人と二人で、このあたりを開墾したが、弥十郎の妻が毎日山に行く夫の仕事を不思議に思って、こっそりと赤倉堰というところに隠れて、様子をうかがおうとした。これに気づいた大人は、姿を見られては困るといって、これからは来ぬことにすると弥十郎に告げたまま、山へ入ってしまった。弥十郎ものちに山にはいって、大人になったといわれる。

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