津軽 #今泉賽の河原(看板に「安倍安東氏霊場」)。入口には #十三湖 の南に見晴るかす #岩木山 を想起させる かっぷくの良い#布袋さん 像。一帯には数多くの #安倍安東氏 の史跡。津軽と大和の繋がり、そして蝦夷と云われる人々について考えてみました
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今泉 賽の河原
(41.0316642, 140.4094983)/青森県北津軽郡中泊町今泉/国道339号線(鯵ヶ沢蟹田線)今泉PA
今泉PAの国道339号線を挟んで向かいに「今泉 賽の河原」の看板。
「安部 安東氏霊場」という表示も気になり、参拝することに。
十三湖の北から見晴るかすお岩木山は、そのスガタカタチから、布袋(ほてい)さんに見立てられたようですね。
十三湖北部の安東氏と大和
なお、十三湖北部には十三湊遺跡、山王坊遺跡、荒覇吐(アラハバキ)神社、福島城跡など、安東氏の史跡が多数あります。
中世(主に平安〜鎌倉時代)十三湊を拠点に広大な海上交易圏を構築し、津軽を含む陸奥国を支配した安東氏と、安倍氏は同祖。
どちらも大和(桜井)を発祥とする血脈で、飛鳥時代の阿倍(引田臣)比羅夫、平安時代の陰陽師・安倍晴明(安倍文殊院)などの歴史上の人物のほか、
最近では、安部晋三元首相もこの系統とされます。
開物は、歴史的に「蝦夷」とされる族の主体であった、あるいは、主体になったと考えるようになっています。
北津軽の靄山(もややま)の三笠型は神名備(かんなび)であるところから、三輪山が語源ではないだろうか、と書きました。
安倍・安東氏のこん跡を丁寧に探すことで、津軽と大和の壮大な歴史の繋がりを見つけることができるかも知れませんね。