ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【今泉 賽の河原(2)】イタコ装束のお地蔵さまと祭壇のオシラサマ【安倍 安東氏とアラハバキ信仰】

津軽、今泉 #賽の河原 二回目。優しいまなざしで南の十三湖岩木山を見つめる #イタコ 装束のお地蔵さま。本堂の祭壇には #オシラサマ(男神木)。安倍安東氏の古い #アラハバキ信仰 のこん跡

目次

本文

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イタコ装束のお地蔵さま

国道339号線の入口から、丘の上に続く石段を登ってゆくと、今泉・賽の河原の広い境内地に。

左の写真は十三湖の方向、右の写真に本堂を含むいくつかの建物。

今泉・賽の河原 境内地

本堂前に二体のお地蔵さま。

本堂前のイタコ装束のお地蔵さま

右側のお地蔵さまには、イタコさんが身に着けるイラタカ数珠(コンタチ念珠とも)が掛けられています。

優しいまなざし、イタコ装束のお地蔵さま

何ともいえず、優しいまなざしは、岩木山を眺める十三湖を見つめていました。

岩木山を眺めると十三湖を見つめるイタコ装束のお地蔵さま

祭壇のオシラサマ

本堂の祭壇。

中央付近に紫の錦をまとうオシラサマ(男神木、後述)(中央のえんじの錦の観音さまの左)

今泉・賽の河原 本堂 祭壇(中央紫の錦を纏うオシラサマ(男神木))

オシラサマはイタコ信仰の神さま仏さまの存在です。

オシラサマの前に、幼い男児の遺影が掲げられていましたので、近くからの写真は遠慮しました。

安倍・安東氏が信仰したアラハバキ神とオシラサマ信仰を繋ぐ点と線

参考に、津軽オシラサマの祭具について載せておきます。

東日流外三郡誌の原風景」第四章・アラハバキ神と信仰(147ページ)

出雲伝承が(中世の)安倍・安東氏…前回紹介したとおり大和桜井が発祥…はアラババキ神を信奉したと伝える通り、ここ今泉・賽の河原の看板には「安倍 安東氏霊場」と書かれていました。

一方、津軽に伝わる「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」にも同様のことが書かれています。

後年(大正〜昭和)の書き換えで偽書性が高いとされ、私もそう考える東日流外三郡誌ですが、すべてが偽りとは思えない原点の中の真実…

それらを現代に繋ぐ点と線が、この今泉・賽の河原に残されたオシラサマの信仰であるように思います。

今泉・賽の河原 本堂 例大祭のポスター

境内地に並ぶオシラサマ装束のお地蔵さま

それぞれに、錦の色とりどりの装束をまとったお地蔵さまが並んでいます。

今泉・賽の河原 境内地に並ぶお地蔵さま

頭のかぶりものや着衣は、津軽オシラサマ装束のようです。

先にも紹介したとおり、オシラサマはイタコ信仰の神さま仏さま。

イタコさんとは、津軽を含む青森県から岩手県で、あの世の霊を口寄せする女性霊媒師(民間信仰の巫女)のことですね。

恐山(賽の河原)のイタコが有名ですが、津軽にも「賽の河原」と云われる複数の祭祀場で、数はずいぶん減りましたが、今でも活動している方々がいるそうです。

岩手県遠野の巫女はオカミサマと呼ばれる)

あの世とこの世の境(際、サイ。幸とも書く)が賽の河原で、そこにつかえるのがイタコさんということ。

古い信仰(シャーマニズム)では、いわゆる境界人にあたる巫女さんが口寄せをします。

*****

東北各地には、イタコのほか、秋田県のエジコ、福島県のワカサマ、山形県の岩谷観音オナカマ、宮城県のオガミサンなどがいて、各地の祭事に巡回し祭文を読み上げ、求められて口寄せや仏おろしを行います。

安倍・安東氏が支配した陸奥国にほぼ符合して分布しています。

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陸奥国

津軽では赤倉霊場のカミサマも知られています。こちらは男性もおられるようです。

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