はじめに
津軽 #岩木山 の麓を移動していて目に入った #十面沢 の赤鳥居。#貴船神社 の名をみて境内奥の長い石段をのぼって行きます。本殿の扉を開けると御神体。西日に照らし出された姿は神々しく。とても古い #龍神信仰 のカタチが残されていました #鬼伝説 #坂上田村麻呂
目次
本文
十面沢・貴船神社
十腰内(とこしない、大字)の厳鬼山(がんきざん)神社に御参りした後、県道31号線(弘前鯵ケ沢線)を走っていると、十面沢(とつらざわ)という大字で赤い鳥居が見え、お詣りすることに。
(グーグルマップで調べてみますと、青森県には十面沢をあわせて七ヶ所に貴船神社がありました。)
御祭神:闇龗神(くらおかみのかみ)
貴船神社の狛犬さん、向かって左の阿形(あぎょう)は笑っているようで、右の吽形(うんぎょう)は泣いているように見えます。
約二十年前に建てられたそばの献灯には「三百五十年祭記念」と書かれており、調べてみますと正保四年 (1647) 創立とのこと。神社としては新しい方です。
由緒の書かれた案内板もないですが、江戸期に京都・鞍馬の『貴船神社』の神さま(水の龍神さん)を勧請(お招き)したのでしょう。
そして、貴船神社をお招きしたとすれば 例のモノ があるかも知れないと、境内に進んでゆきます。
拝殿はシャッターが閉まっていましたが、左に「お山」に上がって行く石段。
三百段ぐらいはあるでしょうか。上の方に本殿らしき建物が小さく見えています。
例のモノとはこれです。
ドキドキしながら本殿の扉をあけさせてもらいます。
やはり、鎮座しておられました。イワクラ(磐座)です。
立派な御神体が、夕刻の正面からの西日に照らし出されました。
人は水のある所に集まり住まい、文化が生まれ発展する
たしかに、十面沢村の貴船神社として創建されたのは江戸期でしょうが、そのはるか昔から、御神体はここに鎮座していたはず。
「貴船」とは女性を暗示するイワクラのことで、水を制御する龍神信仰とも深く結びついています。
その始まりは、稲作の弥生時代と考えて間違いないでしょう。
ただ私は、縄文時代のどこかから始まった信仰が引き継がれた姿だろうと考えています。
岩木山周辺、特に北東の山麓一帯は縄文以来、人が住み続けてきたところで、十面沢の貴船神社は、その古い記憶を留めています。
十面沢の坂上田村麻呂と鬼伝承が暗示すること
十面沢の地名について「とつらざわ」の「とつら」は、周辺に多い蔓(つる、かずら、葛とも)から来ていると言われています。
また、坂上田村麻呂が、岩木山赤倉*1の鬼を征伐する際、鬼の面を十面とったことに由来するとも伝えられています。
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蔓や葛をさかんに利用したのが縄文の人々。縄文の縄はおそらく蔓や葛などでつくられました。
坂上田村麻呂は征夷大将軍、つまり蝦夷(えみし、えぞ)を征する将軍であり、蝦夷とは縄文以来の人々のこと。
十腰内や十面沢に残る鬼伝説は、蝦夷(まつろわぬ者)、縄文以来の人々との争いの古代史を暗示していると考えるのが、もっとも自然でしょう。