大阪のくすりの街 #道修町 の真ん中。田辺三菱製薬本社前の広場に #南北地蔵菩薩 の祠。江戸期に近くの薬商家の土蔵から掘り起こされた「一物」が祀られています。昭和に一時離れていましたが三年前にこちらに戻って来られたそうです
目次
本文
大阪 くすりの街 道修町
大阪市内、くすりの街の道修町(どしょうまち)。
江戸期から発展し今も古い建物が残る町筋。

氏神さんは少彦名神社。

間口は狭いですが、縦長の奥の境内はそこそこの広さ。

御祭神は少彦名神と神農炎帝。和漢のくすりの神様。

南北地蔵菩薩
日本を代表する製薬メーカーの本社が立ち並びますが、そのひとつ田辺三菱製薬本社。

建物前の広場に南北地蔵菩薩の祠。


この石仏地蔵は、本社西南地点(旧、小西喜兵衛氏三代目の土蔵跡)から掘り出され、小西家から田辺製薬に移譲されたものです。出土文政八年(1825)
当時、観相師として名高い水野南北がこの石を見られ、「何に見れば、大地のごとし、如々(にょにょ)にして 一物 あり、遠古ソレヨ、よくよく観れば、地蔵に似たり、故に汝、今日より地蔵と号す、よく見て是如(にょぜ)に守れよ、南北。」と筆を走らせたことから、以来「南北地蔵菩薩」としてお祀りしています。令和三年十月 田辺三菱製薬株式会社

薬剤商・小西家の土蔵跡から「一物」があらわれたという歴史が興味深いですね。
土蔵というのは商家にとっての神聖なる場所。富の蓄積、商いの発展を祈ったのでしょう(金毘羅さんの信仰。インドのクベーラ信仰に繋がります。)
・・・「にょにょ」とは「変わらず、あるがまま」という意味らしいですが、
南北さん、何だか「ニョキニョキっと」いうイメージ(観相)と「一物」を引っ掛けて書いているように思うのは私だけでしょうか😅
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縄文の石棒や、弥生の石神が土中から現れて、お地蔵さんや石神さんとして祠に祀られるというのは全国的に「よくある」ことです。
石神(いしがみ、しゃくじ)転じて「おしゃもじさん」として祀られた例もありましたね。
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御神体(御本尊)を拝ませていただきました。

江戸期の水野南北さんの見立て通りの「一物」…陽石(男石)。
先日紹介した、石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)の御本殿の裏(奥)の一願成霊尊も同じ形でした。

街中で。路傍で。こういうケースを見つけては古代史を妄想をするのは楽しいものです。
【南北地蔵菩薩の参考資料】
この石仏地蔵は、文政8年(1825年)現本社ビルの西南地点(三代目小西喜兵衛氏の土蔵跡)から掘り出され、昭和22年(1947年)に小西家から田辺製薬に移譲されたものです。観相師として名高い水野南北(1760-1834)が出土した石仏を地蔵としたことから、以来「南北地蔵菩薩」として祀られています。昭和32年(1957年)の本社社屋改築の際に大阪工場(加島事業所)へ移されました。加島事業所閉所に伴い、2021年10月に本社にお戻りいただきました。