ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【磐船山】上町台地の崖上にたたずむ【日本神話】伝承の碑

大阪市内を南北に走る #上町台地。台地特有の高低差が見える崖上の住宅地の中にひっそりとたたずむ #磐船山の碑。江戸期の国学者は、ここを日本神話(#古事記)の舞台と考えていたのでしょうか。

目次

本文

磐船山(いわふねやま)の碑

磐船山の碑

34.6673312, 135.5288146(N34°40'02.51",E135°31'44.03")/大阪市天王寺区味原町11/玉造筋に面した高いところです。駐車場はありません。

産湯稲荷神社から産湯通りを東に歩いて4分。

市内南北を走る玉造筋に沿った崖の上、住宅地の中にまぎれて、

「●●磐舟事跡」と刻まれた古い石碑が立っています。

磐船山の碑

周囲は子どもたちの自転車置き場になっています😀

岩船山の碑

上町台地の東辺、古代の水際線にあたる坂の多い一帯で、低いところを玉造筋が南北に走っています。

高低差は5メートルぐらいあります。

岩船山の碑の高いところから玉造筋

案内板もなく石碑があるだけですが、どなたかがグーグルマップに登録してくれています。

「磐舟」という磐座(いわくら)や古墳の存在を暗示するような名前に惹かれ、

私も四年ほど前に訪れていたのですが、案内板もなく、当時は由来などに関する手がかりもなかったので、そのままにしていました。

素人判断ですが、花崗岩に「●●磐舟事跡」の文字や書き方から、早くて江戸期、遅くても明治〜大正期に置かれたものではないかと推察します。

従って、当記事では、ここにこのような石碑を置いた人の考えに沿って、古代妄想で紹介したいと思います👍

摂津国風土記「高津」

先日の引っ越しで本を半分に減らしたにもかかわらず…

四天王寺さんの古本市で出逢ってしまい😅

岩波が一冊100円!(値札は200円となっていますが100円でした)

ちょうど「高津(たかつ)」について摂津国風土記を読もうと考えていたタイミングでした。

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【摂津国風土記・高津】摂津国風土記にいわく。難波高津は天稚彦(あめのわかひこ)、天(あめ)下りし時、天稚彦に付きて下れる神、天の探女(あめのさぐめ)、磐舟に乗りてここに至る。天磐船の泊(はつ)る故をもって、高津(たかつ)と号すと云々

ただ上記内容について「(江戸期の国学者)伴信友採択。国名風土記に同じ記事があり、古代の風土記の記事とは認められない」という注釈が付き、参考史料とされています。

*****

風土記は日本書紀や古事記以前の、日本各地のいわば歴史書で、記紀の作成にあたっても参考とされたと云われていますが、歴史の中でほとんど失われました。

摂津国風土記もほんの一部しか残っておらず(残欠)、江戸期の古代史ブームで当時の国学者が各地の風土記をまとめる際に寄せ集めた情報も含まれいるということで(客観性に欠けるという点で)注釈が書かれているのです。

ただ、当時の教養の高い国学者が熟考を重ねて採択した伝承のひとつですから、百パーセント作り話というものでもありません。

おそらく磐船山の碑は、こういう経緯の中、もしかしたら伴信友あるいはその関係者が記念に残したものかも知れません。

アメノワカヒコ(天稚彦)とアメノサグメ(天探女)

どちらも古事記 上卷-5、「葦原中國の平定」に登場します。

次回に続きますが、興味のある方はwiki「アメノワカヒコ」(記述)をご覧ください。

ja.wikipedia.org

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