ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

磐船山 の検索結果:

仁徳天皇・難波高津宮についての私説】伝説の磐船山から見て春分と秋分には生駒の天照山から太陽が昇る(考察その③)

…こうづ」に登場する 磐船山 のこん跡が、近鉄上本町駅ビル屋上の磐船大明神。 東高津宮(元高津)御由緒 昭和七年の駅拡張によって、東高津宮(元高津、仁徳天皇社)は、境内の磐船大明神とともに現在地(天王寺区東高津町)に移転したのですが、 おそらく近鉄大阪線の起点近くに磐船大明神の祠が残され、戦後、近鉄百貨店ビルが建築された時に屋上に磐船大明神が残されたものと考えられます。 屋上の一角の小さな祠ですが、当社は今では駅ビルおよび近鉄大阪線、もっというと近鉄グループの氏神様として崇敬さ…

仁徳天皇・難波高津宮についての私説】ビル街に埋もれた下照姫と磐船山の伝承(考察その②)

…するヒメコソ神社 「磐船山」のこん跡 本文 www.zero-position.com 風土記(ふどき)と風土記逸文(ふどきいつぶん) 「風土記」は奈良時代(元明天皇期)に全国各地から収集された地誌で、各地の風物や古い伝承の内容の一部が記紀(古事記、日本書紀)にも採用されました。 現存しているのは出雲國・播磨國・豊後國・肥前國・常陸國の五国で、 その他は「◯◯風土記によると・・・」のように後世の史料に引用される形で断片的に残ったもので「風土記逸文(ふどきいつぶん)」と言います…

仁徳天皇・難波高津宮についての私説】近鉄上本町駅周辺(考察その①)

…た可能性が非常に高いと考えます。 冒頭の写真の通り現在ではビル街ですが… しかしこの中に、古代を想像するに足る複数の『こん跡』が残されているのです。 ***** ここまで長くなりましたので次回に。 次回は、東高津宮や近鉄上本町駅、磐船山の碑などに残された『こん跡』から「磐船」「磐船山」の伝承を絡めて少し深掘りします。 ポチっとお願い *1:古代河内のウォーターフロントは古墳時代後期より河内物部氏(物部宗家)の支配下に *2:東大阪市や大阪市平野区は今でも「ものづくりの街」です

仁徳天皇(大鷦鷯天皇)の難波高津宮はどこにあったのか?

…というキーワードで「磐船山の碑」とも繋がっていると考えられます。 www.zero-position.com 私が下照姫とアメノワカヒコの住まい(宮殿)があったと推理している産湯稲荷神社あたりが磐船山とすれば、 仁徳天皇の難波高津宮は「磐船山」に関連して置かれた可能性も考えられます。 なぜならば、古墳時代の磐船山は、弥生時代以降、大和川と淀川の堆積で古代河内湖が大阪平野に変貌する「クニウミ」の現場(国見の台)であったからです。 ぼろぼろの服で国見をする仁徳天皇と皇后(高津宮「…

【磐舟山】石碑伝承(河内国風土記)と繋がる【産湯玉之井】

摂津国風土記の「#高津(こうづ)」で伝えられる #アメノワカヒコ(天稚彦) と #アメノサグメ(天探女)の伝承。#古事記 #葦原中國の平定 には 二神が揃って登場します。 #磐舟山の石碑 近くの #産湯稲荷神社、境内の #産湯玉之井 の由緒は高津伝承と繋がっています 目次 アメノワカヒコとアジスキタカヒコネはそっくりさん(古事記) 産湯稲荷神社(うぶゆいなり) 産湯玉之井 本文 www.zero-position.com アメノワカヒコとアジスキタカヒコネはそっくりさん(古事…

【磐船山】上町台地の崖上にたたずむ【日本神話】伝承の碑

…っそりとたたずむ #磐船山の碑。江戸期の国学者は、ここを日本神話(#古事記)の舞台と考えていたのでしょうか。 目次 磐船山(いわふねやま)の碑 摂津国風土記「高津」 アメノワカヒコ(天稚彦)とアメノサグメ(天探女) 本文 磐船山(いわふねやま)の碑 磐船山の碑 34.6673312, 135.5288146(N34°40'02.51",E135°31'44.03")/大阪市天王寺区味原町11/玉造筋に面した高いところです。駐車場はありません。 産湯稲荷神社から産湯通りを東に歩…