平安時代から鎌倉時代にかけて盛んであった熊野詣(くまのもうで)は、
京の都の鳥羽離宮(伏見あたり)から淀川を舟で下り、
河内難波、古代には窪津(くぼつ)と云われた『八軒家、はちけんや』に上陸、
古代上町半島の四天王寺、住吉大社に参詣した後、仁徳天皇陵を通り過ぎて、やがて紀伊路に入り、
小辺路(こへじ)、中辺路(なかへじ)、大辺路(おおへじ)から熊野三山に詣でます。
熊野詣の回数では、鳥羽上皇が22回、後白河上皇32回、などが伝えられています。
八軒家あたり
現在は観光船・八軒家の船着き場。
向こう(南側)にビルが見えますが、その向こう側の道路(土佐堀)沿い、もともと八軒家があった所に、碑が立てられています。
土佐堀通りと右(北)側ビルの一帯は、古代は浜または川筋でした。
熊野街道の目印と四天王寺
四天王寺の南大門の熊野権現礼拝石のところから、住吉大社に向かいます。
阿部王子神社、住吉大社、仁徳天皇陵
熊野街道筋には、九十九か所の遥拝(ようはい)所があり、これを王子と呼びました。
人々はその社に参詣し、しばし休息をとってから、次の王子に向かいます。
左の写真、緑のラインの奥、もうすぐ大和川という辺りです。
仁徳天皇陵です。