ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【アワシマサマ(後編)】巨大な男女一対の信仰のこん跡。古いアラハバキ的な死生観

中山山脈(#梵珠山脈)の #アワシマサマ と #胎内くぐり岩 は古くて巨大な#男女一対の信仰のこん跡。蝦夷と大和が対峙する中、文化や信仰が対立し、また、融合した歴史を垣間見ることができるのも #津軽 の魅力です

目次

本文

【アワシマサマ(前編)】

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転び地蔵、転じて、うなり地蔵

陸奥の伝説(森山泰太郎)

前回記事で、山中の巨大陽石・アワシマサマの紹介文(青森県における生殖器崇拝資料)の中に「…地蔵が転げ落ちた際に、うなり声をあげたという伝説がある。」とありましたが、

青森市の古本屋さんで入手した『陸奥の伝説(森山泰太郎 編著)昭和51年』には「うなり地蔵(p139)」として紹介されていました。

五所川原市前田野目(まいだのめ)にある。むかし梵珠山が霊場として栄えたころ、ここに大きな地蔵堂があった。のちに梵珠の衰微とともに堂もこわれ、地蔵様が山の上から沢に落ちて見えなくなった。村人が、霊験あらたかなこの地蔵を探したところ、山の中腹でみつけた。そこでもう一度これを起こして、山頂に祀ろうとしたが、何人かかってもビクともしない。人々はあきらめて、”転び地蔵”と呼んで信仰し、そこを地蔵沢というようになった。

前田野目を「まえだのめ」と呼んでいましたが「まいだのめ」のフリガナが付けられてありました。

「前」を「マイ」と読ませるあたり、津軽言葉へのこだわりを感じます ( ´艸`)

のちに炭焼きにこの山にはいった村人が、山中で泊っていると、沢の方からものすごいうなり声が聞こえてきた。そこで沢に降りて行ってみると、この地蔵がウンウンうなっていた。村人は炭焼くことも忘れて恐ろしさのあまり我が家に逃げ帰り、それから三日も寝ついたという。それからは”転び地蔵”を”うなり地蔵”と呼んで、人びとが崇めるようになった。

【よく似た話】山から転げ落ちた男石のお話(明日香)

山から男石が転げ落ちてきたという、よく似た話を以前紹介したことがあります。

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明日香の マラ石(男石)は、後背の フグリ の、今は金毘羅さんの碑が載っている 舟形石(女石)とかつてはセットであったと言い伝えられています。

男女一対の信仰(胎内潜り岩とアワシマサマ)

アワシマサマも「梵珠山の松倉神社登山口付近にある「胎内くぐり岩(鼻潜り岩)」が、この陽石と対をなしているといわれ、昔は地蔵沢から胎内くぐりまで直通の小径があったという。」と伝えられています(「青森県における生殖器崇拝資料」増田公寧)

巨大なアワシマサマは、今は離れ離れになってしまった同じく巨大な彼女を『恋しや』と念じて、うなり声を上げたのでしょうか。

アワシマサマ(巨大陽石。淡島神社

松倉神社登山口(鳥居)とは南北で2キロほど離れており、巨大な大蛇…そして北斗七星…梵珠山脈*1を舞台にした、津軽らしい、壮大な 男女一対の信仰 のこん跡です。

松倉神社鳥居(参道入り口)付近の『胎内くぐり岩』

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津軽三十三観音を道しるべとして、奥宮の磐座(子宮?)〜参道(産道?)から鳥居に戻って来る松倉神社の参拝は、お母さんの胎内から生まれてくる(この世に戻ってくる)体験でしょうか。

三十三という数は…三十三回忌など…あの世に向かう魂の道標であるとともに、この世に戻って来る道しるべなのかも知れません。

松倉神社 一番奥の三十三番目の観音様

十月十日(とつきとおか、三百十日)にも近く、観音様一体を、十日ぐらいの目安とすれば、おおよそ妊娠期間ですしね。

…はるかに古いけれども今に繋がっているご先祖様の死生観…そういった観念にほんの少しでも触れることができるのが津軽の魅力です。

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