前回からの続き #溝咋神社 三回目。#媛蹈鞴五十鈴姫 の兄 #天日方奇日方(あめひかたくしひかた)は父亡き後、母妹らとミシマに帰り、葛城の山麓に移住し #葛城鴨 のクニを拓きます。#鴨都波神社 #下鴨社 #積羽八重事代主命
目次
本文
ミジマのクニのロイヤルファミリー系図
茨木市教育委員会の案内で家系図をつくってみました(妹神は後に紹介しますので参考までに)
姫巫女の母神と娘神を御祭神、祖父神・兄神は相殿神として祀られています。
なお「先祖にあたる」とされているスサノオについては出雲伝承は明確に否定していますので系図から外しています。
天日方奇日方命(あめひかたくしひかたのみこと)
イズズヒメの兄の天日方奇日方命は、出雲の父神亡き後、妹たちとともに、母の実家・ミシマのクニ(大阪府茨木市、東奈良遺跡)に帰ってきた後、
出雲伝承(富(登美)家口伝=出雲東王家伝承)は、クシヒカタは葛城山麓に移住したと伝えます。
鴨(賀茂・加茂)の始まり。鴨都波神社
父神を鴨都波神社(かもつばじんじゃ、下鴨社、奈良県御所市宮前町)に祀り、クニづくりを始めたのですが、
これが、いわゆる 葛城鴨(かつらぎかも) の始まりです。
鴨都波神社の御祭神(男神)は積羽八重事代主命(つみはやえことしろぬしのかみ)
御由緒には『鴨族の発祥地としてこの地方を治め、全国に分布する鴨社加茂の源である』と書かれています。
私が調べた限り(葛城古老の伝承)、クシヒカタが移住した弥生時代(紀元前150-100年の間)、現在の鎮座地は古大和湖の水辺でした(境内に鴨都波遺跡)が、
現在よりも東の葛城山麓、櫛羅(くじら) の鴨山口神社~猿目あたりに住み、祀りの神域を置いたと考えられます。
クシヒカタの名は母上のタマ『クシ/櫛』ヒメを継いだもので、櫛羅(くじら)という奇妙な地名は『クシ』ヒカタに由来するものと考えると、
出雲伝承のとおり、しっくり繋がります。
謎の父神(境内の事代主神社)
さて、謎の父神とは。
茨木市教育委員会が作成した溝咋神社の案内板には『父は神とされ』とボヤかされていますが、
出雲伝承と鴨都波神社の御由緒、溝咋神社に伝わる御祭神の伝承*1を繋げると、謎の父神とは 事代主(ことしろぬし) ということになります。
このあたりの考察は、古代史のキーポイントで、慎重に丁寧にする必要があります。
続きます。