新幹線・広島駅から北の方向。山頂に仏舎利塔が見えるのが二葉山(ふたばやま)(2020年元旦記事)
二葉山の麓には神社仏閣が多いが、広島東照宮(創建1648年、主祭神は東照大権現・徳川家康公)もそのひとつ。
広島東照宮の境内社として、宮の奥の二葉山山腹に朱色の鳥居が並ぶ、金光(きんこう)稲荷神社がある。
参詣道には徳川家康公の御遺訓の看板が立てられていたので、あわせて紹介。
奥宮は見晴らしのよい所で、境内から広島市街、広島駅を見下ろすことができる。
奥宮のすぐ横・山側の大きな岩の洞(ほら)に狐さんの小さな祠。
洞に信仰の対象が置かれていることから、稲荷社ができる以前はイワクラだったのだろう。
イワクラは出雲の信仰のカタチ。この奥宮も神聖な場所だったと思われる。
広島市は、ほんの四百年前でも平野部がほとんどなく、現在の市街地は江戸期以降に埋め立て開発された。
さかのぼって考えると、縄文の時代から人が住めるエリアは限られており、海(潟)に浮かぶ島であった二葉山には、縄文の人々や出雲族が住み、イワクラ信仰もあったと妄想している。
金光稲荷神社は、東照宮の境内社として1750年ごろ(元禄時代)に創建された新しい神社だが、それ以前からの長い信仰の歴史が奥宮のイワクラ跡に残されていると思う。
推定する根拠は3つ。
● 二葉山と繋がっている近くの比治山(ひじやま)で複数の縄文遺跡が発見されている
● 二葉山・シリブカガシ(ドングリの仲間)の日本最大の群生林(おそらく縄文以来の森)
● 広島のタタラ鉄の歴史(弥生期、出雲文化の到来と習合、おそらく金光という名の由来)
長くなるので、金光稲荷神社・鳥居そばの案内板を紹介するだけにしておく。他の2つはまたあらためて書いてゆきたい。
近年の縄文研究では、藤森栄一氏が提唱した「縄文農耕論」が定説になりつつある。
縄文集落ではドングリ類やクリの管理栽培で、人為的に群生林を作り、おそらく、その形が日本各地の「里山」の姿に残されている。