万博発掘シリーズ2回目。
未来都市感たっぷりのEXPO70会場を、華やかに彩ったのが、総勢3000名のコンパニオンのおねえ様方。
当時、私は中1の坊主ですから、もちろんおねえさんです。
1970年3月8日、万博開幕1週間前の全国紙記事より要約します。
文字起こしすればよかったんですが、今どき、使ってはいけなさそうなクダけた表現もありますので、開物訳で紹介します(全国紙ですが)
万博の1年前から争奪戦
いかにパビリオンや展示に大金をつぎこみ、技術の粋を傾けても、やはり『女性の存在』は大事ということで、各館が競って女性を募集したといいます。
敬語(日本語)の使い方、接客のしかた、表情の作り方、食事マナーから立ち居振る舞いまで『詰め込んだ』のですが、
教育したあげくにライバル館に引き抜かれてしまったり、万博エスコート役に抜擢されたということで早々と縁談がまとまってしまったりで、本番前にサヨウナラされることも少なからずあったそうです。
ならではの特典付きで奪い合い
外国政府館は『海外旅行を兼ねた本国研修』、国内電機メーカーは『退職時に電化製品10万円分』などの条件で募集。
あまりの競争の激化に「過当競争はやめよう」と申し合わせが行われたものの、うやむやになったといいます。
一人60万円のユニホーム
服飾デザイナーの引き抜きも大変だったそうで、複数館のかけもちを禁じ、デザインもトップシークレット扱い。
蓋を開ければ、ひとりのユニフォーム代に60万円するものもあったそうです。
(現在価値にするといくらぐらいになるんでしょうか?汗。万博を契機に、パリコレなど世界に進出したファッションデザイナーが多数おられました)
合わせて100種近くのコンパニオンさんがいた!
万国博協会だけで、VIPの接待係、エスコートガイド、子どもの世話係のエキスポシスター、カサや乳母車の貸し出し係のエキスポエンゼル、改札と動く歩道案内係のエキスポフラワー、情報係のデータスワロー、お祭り広場案内係のプラザリリー、美術館案内係のミュージアムレディ・・・などなど。
(写真の通り、エキスポシスターには通常バージョンと儀礼服バージョンがあったんですね)
このほかにここで紹介したような女性たちが各パビリオンにもいて、会場には100種近いユニフォームのコンパニオンさんがいたそうです。
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松下館といわれてもピンとこない世代もいるかと。パナソニックのことであります。
そういえば、地中に埋めたタイムカプセル、5000年後に開封するとか、ありましたなぁ。
↓ なんと!大阪城公園本丸跡に埋めてあるそうで、近々、現地を見に行ってみよう。
↓ そうですか!万博の頃からジャンボ、ボーイング747が飛んでいたんですか。
(優雅に脚を組む)着物姿のスッチーさんなんて、一生の間に見ることはないでしょう。笑
皆さん、おでこを出すヘアスタイルだったんでしょうか。(続きます。)