はじめに
播磨灘を見晴るかす丘の上に #平林貴船神社。毎年十月、出雲に旅立ちまた帰省する産土の神が立ち寄ったところから #寄神様 と云われたそう。浜辺に近いところに弥生時代以来 #塩づくり のムラがありました #藻塩
目次
本文
(34.58471506949314, 134.96656388378327)/兵庫県淡路市野島平林206/貴船神社遺跡駐車場あり
平林貴船神社縁起)当社は昔から通称、寄神様 と呼ばれて来たが、祭神は貴船神である。ところが貴船神とは実はクラオカミの神、タカオカミの神である。寄神神社は一国に一社祭られたものでしかも国の北から北東の位置に鎮座したものである。古来、十月は全国の神々が出雲の国に集まるので神無月と呼ばれた(ただし出雲では神有月と言っている)。すなわち神々が出雲に旅立つ時も帰省する時も、ひとまずこの社に神集いしたことから寄神社の名称が出たもので、当神社は淡路一国の寄神所に当るのである。また貴船の神は祈雨止雨(きうしう)の神でもあり、全(すべて)を司る神でもある。
当社の勧請祭祀(創建に関して))当社は西暦1706年に鞍馬の貴船神社より分霊勧請してこの地に鎮座した。
御本殿は、播磨灘を見晴るかす丘の上に鎮座。
神社から見える田んぼの稲穂に実が入ってきました。
弥生以来の塩づくり(藻塩)のムラ 貴船神社遺跡
神社の境内の一段下、浜辺に近いところに、貴船神社遺跡。
ここは弥生時代から、海人(あま)が塩づくりを行っていた場所 で、濃い塩水を煮詰めるための 石敷炉 が発見されています。
当時は海藻を利用して濃い塩水をつくり(藻塩、もしお)、石敷炉に製塩土器を置いて煮詰めたようです。
下記HPを読みますと、古代の人たちは、現代人よりも海藻のうまみが出た、上品な味のお塩を摂っていたようですね。
塩味と旨味、日本人の味覚の原点です。
遺跡には、古代の塩づくりを再現したモニュメントが建てられています。
タコつぼでタコも採っていました。播磨灘をはさんで淡路島の向かいに明石。明石のタコは弥生の時代からですね( ´艸`)
「朝なぎに 舵の音聞こゆ 三食津国(みけつくに)野島の海子(あま)の 舟にしあるらし」「(前略)朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海乙女(あまおとめ)有りとは聞けど(後略)」 (万葉集 巻六 山部赤人)
乙女は藻塩を焼き、男はタコを採りに沖に出たのか。。。夕食はタコの塩焼き一択。