ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

藤原鎌足公の正室【鏡王女】が眠る万葉の奥の谷【忍阪】

春の景色とウグイスの声が美しい #忍阪(おっさか)。#生根神社 #舒明天皇陵 を過ぎて #奥の谷。万葉の時代から変わらぬであろう #隠国(こもりく)の景色。ひっそりとたたずむ #鏡王女 の墓。#藤原鎌足公 の正室として藤原氏の氏寺 #興福寺 の起源を開いた女性。#シロバナタンポポ

目次

本文

近鉄大和朝倉駅から眺める三輪山の連山

三輪山は南から眺めると連山(三諸山)であることがわかります。

近鉄大和朝倉駅から三輪山(左)。右に連なる連山は左からダンノダイラ、巻向山、初瀬山

写真の参考に原始三輪山のマップ(「三諸山」は著者・榮長増文氏の推定)

忍阪(おっさか)

大和朝倉駅から南に徒歩20分。

外鎌山(忍阪山)の麓一帯の忍阪(奈良県桜井市)を歩いて来ました。

忍阪(おっさか)散策マップ

忍阪は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ、第38代天智天皇)の父上・第34代舒明天皇(息長足日広額天皇)陵があることから、神宮皇后(息長足姫、第14代仲哀天皇の皇后)に繋がる息長(おきなが)氏の大和の拠点であったとされています。

氏神の忍坂坐生根神社(おっさかにいますいねじんじゃ)。

忍坂坐生根神社。向こうに竜門岳

忍坂坐生根神社は背後の忍阪山(外鎌山)を御神体とする古式の社。

忍坂坐生根神社。中央の拝殿は忍阪山を遥拝

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忍阪山(外鎌山)

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舒明天皇陵(段の塚古墳)より奥の忍阪山の渓谷が「奥の谷」。

大和の隠国(こもりく)にふさわしい春の景色が美しいところ。

万葉の時代から変わらぬものと思います。

忍阪。春の奥の谷

ひっそりと鏡王女(かがみのおおきみ)忍阪墓。

万葉歌人・額田王(ぬかたのおおきみ)の姉。

姉妹ともに天智天皇に愛されましたが、姉は中大兄皇子(天智天皇)の子を孕みながら、譲られる形で中臣鎌足の正室となったという話が根強く残ります。

重要なことは、乙巳の変(大化の改新)を実行した中大兄皇子と中臣鎌足の間には尋常ならざる歴史の表には出てこない深い関係があったということです。

鏡王女の陵墓

鎌足公が山科の狩りの落馬で致命的な大怪我を負い伏せているとき、鏡王女が回復を祈り建立したのが山階寺(やましなでら、京都市山科区御陵、669年)。

壬申の乱の後に都が飛鳥に戻った際に移転して厩坂寺(うまやさかてら)に。

さらに平城京遷都の直後、鎌足公と鏡王女の次男・不比等が厩坂寺を移し 興福寺 と改称(奈良県奈良市、710年)。

その後の藤原時代の興福寺の興隆はご存知のとおり。

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たいへん珍しいシロバナタンポポ

帰り道、たいへん珍しい日本在来種のシロバナタンポポを見つけました(個人的に見たのは始めてで大感激!😀)

黄色いセイヨウタンポポに囲まれてなお、お日様に白く輝く様子はまるで鏡のような存在感でした。

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