ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

佐渡は古代のタイムカプセル(4)ムラのものづくり 分業スタイル 匠・名工を生み出す風土

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フェリーから海猫 水平線(右)に佐渡

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佐渡島 Wikiより

佐渡は古代のタイムカプセル」というテーマで書いてきたが、今回が一応、最終回。

縄文からの玉作(玉造)の伝統を繋ぎ、高度化し、そのオンリーワン(特に管玉製作技術)が、弥生・古墳時代に全国の需要を集めた(地場産業化)というシナリオで古代の佐渡を眺めている。

実は勾玉・管玉づくりは、古墳時代の終焉とともに一瞬で廃れる。間違いなく、前方後円墳の終焉(薄葬化)とリンクしている。

今でこそ国石のヒスイ(2016年に選定)、長い時代(1000年以上)、漬物石ぐらいにしかならなかった時代があるのだ。

何度か書いてきたが、それは物部氏の滅亡(丁未の乱、587)と密接に関連していると考えている。しかしそのことを考察する回ではないので、そのあたりはまたいずれ。

匠・名工のムラ

勾玉・管玉づくりが廃れてから、金山(きんざん)の時代が始まるまで、佐渡は文化的にも日本史的にも「離島」化した。

しかし、その隠れた時代、佐渡の人々は稲作のムラで脈々と、ものづくりとその精神を継承した。

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むらのくらし パネル

「番匠(建築工)、彫師、指物師塗師、竹細工、鍛冶、紺屋、紙漉など各分野にわたり幾多の名工と云われる人がいた」

「ものづくり」の分業スタイルと「名工」と云われるほどの高い技術

このシリーズ2回目で紹介した弥生時代の管玉(くだたま)づくりの集落(玉作遺跡)の姿、そのまま。

弥生の佐渡名工が造った玉が、広く求められ、全国に流通した古代の歴史。

その歴史が新穂で繰り返されていた。

www.zero-position.com

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桶づくりの数々の道具

稲作ひとつとっても、1年を通して、それを支える数々の実用的な道具。

桶づくりでも米づくりでも、優れた道具を作る「匠」がムラに居て、ムラ内で完結していること。

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稲作 数々の道具

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だおぼっち はばき

今までこういった展示を見てきたが、ものづくりの精神文化が「縄文・弥生の古代から繋がっている」ことを意識させられたのはこの時が初めて。

日本全国津々浦々、故郷の村々に古くから伝わる智恵の詰まった道具と、それが支える生活。

あらためて「ものづくり」の国の根っこの深さというか、太さを感じさせられた。

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佐渡市 新穂歴史民俗資料館

新潟県佐渡市新穂瓜生屋492番地

0259-22-3117

8時30分〜17時(入館は16時30分まで) 毎週月曜日休館、12月1日~2月末は冬期休館