ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【龍田古道】かつて【龍田川】と呼ばれた県境の【大和川】巨大な龍のようにうねうねと流れる

和歌にうたわれた #龍田川 は、古代、大和と河内を結ぶ #龍田古道 に沿って流れる #大和川 のことでした。#JR大和路線 #柏原駅 から #河内堅上駅 を経由し #亀の瀬(地すべりエリア)まで歩きました

目次

本文

和歌にうたわれた「龍田川」

平安時代六歌仙(ろっかせん)に名を連ねた在原業平(ありわらのなりひら)の小倉百人一首に掲載された有名な歌。

千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは) からくれなゐに 水くくるとは

一面の紅葉の鮮やかな紅色に染められた龍田川なんて、神代の昔でさえもそんな話は聞いたことがない!

龍田大社

和歌にうたわれた龍田川。実は、河内と大和の県境の大和川だったということを、龍田古道に足を運び、調べているうちに知りました。

古い時代、大和と河内の国境の大和川の流れを「龍田川」と呼んだ

詳しくはこちらをご覧ください(奈良県三郷町HP。「現在竜田川と呼ばれている川は江戸時代には平群川・塩田川と呼ばれていた」)

www.town.sango.nara.jp

龍田古道を歩く(柏原駅河内堅上駅付近)

【今回はコース前半の河内堅上駅を過ぎたあたりまでの記事です】

大和の都と難波宮を結ぶ龍田古道は、かつて存在した龍田山の麓を通る古代交通の要衝でした。

(前回紹介した龍田大社は、現在地の西側約1キロほどの丘陵地(龍田山)が創建地)

大和川親水公園(柏原市)。左)河川敷に河口から19.8キロの石標

少し前、ゴールデンウィーク前半に、JR大和路線柏原駅から河内堅上駅を経由して、亀の瀬(地すべりエリア)まで歩いてきました。

www.zero-position.com

天の磐船?の松岳山古墳(国分神社)を過ぎるとしばらく、車の往来が激しい国道25号線沿いを歩きますが(34.5683739, 135.6551235/座標。数値のみコピペしてGoogleマップで検索すると地点表示されます)の地点で、大和川に向かって左折すると、

川端橋(夏目茶屋渡し跡。大阪府柏原市青谷)。

大阪府下では珍しい吊り橋。

ここから大和川の向こう岸(北側)に渡ることができます。

川端橋(夏目茶屋渡し跡)

吊り橋の上から大和川の流れ

吊り橋を渡ったところから龍田古道スタート。

龍田古道スタート地点(大阪側)

龍田古道

このあたりからしばらく、龍田古道はJR大和路線と並行します。

河内堅上駅付近は、山の斜面と大和川の間の狭隘な土地の道路脇にまばらに民家があるだけで、まるで秘境のよう😀

駅名の看板は、今どき珍しいホーロー製。

河内堅上駅

今年見た中で、一番美しいと思ったツツジ

踏切の向うに明神山

古代大和川水運の難所・亀の瀬(の地すべりエリア)まであと1キロ。

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