弥生古代のクニ #三島(ミシマ)。その中心が #東奈良遺跡(大阪府茨木市、紀元前200〜西暦100年) であった可能性。#環壕集落 #銅鐸工房 #大型建物 #絵画土器 #姫巫女 の文化は #唐古鍵遺跡(奈良県田原本町、紀元前200〜西暦200年)と並行・共通します
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茨木市立文化財資料館/大阪府茨木市東奈良3丁目12−18/阪急京都線および大阪モノレール・南茨木駅より西に徒歩5分
東奈良遺跡は、北の阿武山(あぶやま、大阪府高槻市)方面を起点とする川の支流が淀川に向かって形成する扇状地に、紀元前200年〜西暦100年頃に繁栄した稲作環壕集落。
弥生期の淀川北岸には出雲型の都市国家、いわゆる 三島王国 があったと伝えられ、その詳しい所在は不明ですが、東奈良遺跡が中心であった可能性が高いと考えられます。
銅鐸は福音を「鳴ら」して豊作を祈るクニの祭祀具
冒頭のパネルの右下(オレンジ)で描かれた工房からは、国内で唯一の完形の銅鐸鋳型が出土しました。
残された破片の調査(昭和48年)から、東奈良遺跡で造られた銅鐸が、香川県(我拝師山)、大阪府豊中市(原田神社)、兵庫県豊岡市から出土していることがわかり、
東奈良遺跡が銅鐸生産の一大拠点であったことが明らかになりました。
#東奈良遺跡(大阪府茨木市)
— 開物発事 (@Kai_Hatu) 2024年8月4日
銅鐸工房跡から出土した鋳型で造られた流水紋 #銅鐸
♪カンカ〜ン 稲の豊作を祈る福音#茨木市立文化財資料館 pic.twitter.com/PrW43nXhZX
この他、東奈良遺跡からはお鈴サイズ・携帯型の小型銅鐸や銅鐸型土製品も出土しています。
稲作で発展した「クニ」で、銅鐸をどのように使い、何を祈り、そして、どうして配られたのか、想像するだけで楽しい展示ですね。
絵画土器の数々(描かれた銅鐸、姫巫女、海人)
東奈良遺跡からは絵画土器も多数出ています。
絵画土器といえば、奈良県の唐古・鍵遺跡を思い浮かべます。
纏向(西暦200年〜)に先行する唐古・鍵(紀元前200年〜西暦200年)は、東奈良遺跡(紀元前200年〜西暦100年)と時代が並行します。
姫巫女がいる環壕集落で、大型建物(おそらく神殿含む)と銅鐸工房があったことも共通しており、東奈良も唐古・鍵も、同じ稲作文化のクニであったことは間違いないでしょう。
淀川水系を行き来した海人文化(アド)も想像されます。
同じ時代の両遺跡の類似性は、同一文化圏で交流があったことを推定させ、
それを繫ぐのが、弥生出雲の鴨(賀茂)の文化であったと推理できます。
銅鐸を「鳴らす」文化が 奈良 の地名になった可能性もありますね。シャレじゃなくって😅