ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

荒ぶる牛頭の神。牛頭天王と蚩尤(しゆう、兵主神)【蘇民将来伝説】【穴師】

奈良県公式ホームページ(2021年11月)、奈良県立美術館館長・籔内佐斗司さんの記事「第25回 牛頭天王」がたいへん興味深い内容。牛の角を持つ荒ぶる #牛頭天王 と #蚩尤(しゆう)の同神説。大陸の大著 #史記 では #兵主神。#大兵主神社 #穴師坐兵主神社 #蘇民将来

目次

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荒ぶる牛頭天王と蚩尤(しゆう、兵主神)

奈良県公式ホームページ(2021年11月)、奈良県立美術館館長・籔内佐斗司さんの記事「第25回 牛頭天王」がたいへん興味深い内容。

www.pref.nara.jp

抜粋してまとめました。

・奈良県立図書情報館館長の千田稔先生の「中国山東省の八神の一柱・兵主神(ひょうずしん)」の講演を聴いていて、この兵主神こそが蘇民将来説話の原典ではないかと思い至った

・蘇民将来説話とは、頭に牛の角が生えた牛頭天王(ごずてんのう)が、旅の途中に立ち寄った村で宿を請い、裕福な兄には邪険に断られたが、貧しい弟の蘇民将来にはもてなされたことに感謝し、牛頭天王は蘇民将来に「茅の輪を身に着けておけば一家はすべての災厄から逃れられる」と言い残して立ち去った後、旅の帰途に再び村を訪れ、茅の輪を着けた蘇民将来の家族だけを残して、兄一族を根絶やしにしてしまったという内容

「蘇民将来子孫家の門」と書かれた伊勢しめ縄(伊勢は蘇民将来伝説発祥の地)

江戸時代以前、京都八坂神社は牛頭天王を祀っていました。

明治政府の命令で、素戔嗚命(スサノヲ)ファミリー三柱に御祭神が変更されました。

「蘇民将来子孫者也」と書かれた祗園八坂神社のちまき(粽)

・中国山東省の八神の一柱・兵主神は 蚩尤(しゆう) という牛頭人身の荒ぶる神で、石や金属を食べると信じられたことから、この神を 鉱山開発や冶金に関わった一族 になぞらえたのではないかと考えられる

蚩尤(しゆう)。後漢代の山東省の墓壁画(wiki)

・この山東省の八神を芸能化したものが、後世の中国王朝の宮廷儀式の余興である百戯や散楽として催行され、そのなかの角觝(かくてい、角力、相撲)という格闘技は、蚩尤を表す牛の仮面をかぶって行われたということで、まさにこの兵主神こそが蘇民将来説話の原典ではないかと思い至った

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大兵主神社(穴師坐兵主神社)奈良県桜井市穴師

大兵主神社(穴師坐兵主神社)一の鳥居。鳥居の向こうに穴師山

纏向遺跡(居館跡、辻地区の建物群)の東、JR桜井(万葉まほろば)線の線路を超えてすぐのところに『穴師大明神』の碑が立つ一の鳥居があります。

この鳥居を超えて、穴師山に向かって進むと、大兵主神社(穴師坐兵主神社)。

車で十分ぐらいかかります。

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御本殿は三社合祀殿。

元は穴師坐兵主神社(名神大社)、巻向坐若御魂神社(式内大社)、穴師大兵主神社(式内小社)の3社で、室町時代に合祀されたため、御祭神は神名ではなく神社名になっています。

大兵主神社(穴師坐兵主神社)御本殿

2021年秋に参拝した時には「兵主」の意味がよくわからずそのままにしていたのですが、籔内佐斗司さんの記事を読んで、一気に繋がりました!

巻向の若御魂神の他の二社は兵主神、つまり、中国(山東省)に端を発する蚩尤(しゆう)、

すなわち牛頭天王を祀っていたと考えて間違いないでしょう。

なぜ確信的に言えるかというと、穴師(あなし)というのは、

・古代の鉱物(石材)採取、金属加工精錬の職種を意味する言葉であること

・大兵主神社(穴師坐兵主神社)への行き道、手前に相撲神社があることです。

この2点は、籔内さんの考察に沿って考えると、荒ぶる蚩尤(しゆう)に繋がり、そして、牛頭天王に繋がります。

三輪山北西山麓の「穴師」

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続きます。

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