はじめに
大阪天満宮の表大門から南に歩くと淀川の支流・大川(おおかわ)。川端を遊歩道が続く南天満公園。春は大阪の桜名所。かつての #天満青物市場跡。対岸の #八軒屋 は #熊野街道 の起点。#三十石舟 #舟唄 #天満の子守唄
目次
本文
大阪天神さん界隈
南天満公園の一帯は、江戸期に、天満宮の賑わいとともに栄えた天満青物市場跡。
大坂の平野部や淀川沿いで採れる 浪花野菜 の他、京都から下りてきた京野菜が集積する場所でした。
江戸期は規模が大きく、たいへんにぎわった市場だったそうです。
ねんねころいち 天満の市で 大根そろえて 舟に積む 舟に積んだら どこまでゆきゃる 木津や難波の 橋の下
橋の下には かもめがいやる かもめ取りたや 竹ほしや(竹がほしけりゃ 竹やへござれ 竹はゆらゆら 由良之助)
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(先日紹介した難波八坂神社(大阪市浪速区)境内の篠山神社は、天満が独占していた大坂の青物市場を、ミナミ(木津)にも開いてくれるように住民らが嘆願し、江戸から来た篠山代官の尽力で市場が実現したことから祀られるようになりました。)
三十石舟(さんじゅっこくぶね)の碑
公園には、熊野詣(くまのもうで)の古い時代から、京都・伏見(巨椋池、おぐらいけ)と大坂を結んだ淀川の水運を偲び、江戸期に盛んに行き来した三十石舟(さんじゅっこくぶね)の碑が建てられています。
江戸時代、淀川は京都と大阪を結ぶ水上交通路として栄え、大阪での起点となった八軒屋(はちけんや)船着場は、対岸の京橋・石町あたりにあった。三十石船というのは長さが17メートル、幅2.5メートルで、米を三十石(米俵にして75俵)積み込める大きさの船という意味で、京都・大阪を往復し、多い時は、1日に三百隻にのぼったこともあった。
この舟唄は当時の船頭たちによって歌われていたもので、京都から大阪までの沿岸の情景を歌ったものである。
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対岸の八軒屋(常夜灯のある船着場)は大坂の熊野街道の起点でした。