大阪夕陽丘
四天王寺さんの七不思議。 そんな話があることを聞いたことはありますが、具体的に、どんな内容かくわしくなかったので、調べてみました。 ふたつ、ありました。 ひとつは江戸期の延宝三年(1675年)に刊行された『芦分舟、あしわけぶね』で紹介されてい…
まとめ 四天王寺 には『七』の話がいくつかあります。#聖徳太子 の #七星剣 #七不思議 など。#四天王寺七宮 は寺を守るため創建時からあったと伝えられます。当時の #古代上町半島 の地形を考えれば、七宮が配置された理由、そして日本の神様の役割が見えて…
今日は毎月1回の四天王寺方面のクリニックに通いの日。小雨が降る中、古代妄想散策を兼ねてウォーキング。 ゴールデンウィークの引っ越しで、四天王寺には、今まで西門(さいもん)から入っていたのが、東門から入るコースに。 四天王寺境内の紫陽花 紫陽花…
もともと約4キロ北の天満橋の八軒屋あたりにあった熊野街道・九十九王子の第一番目の窪津(くぼつ)王子社。 現在は堀越神社(大阪市天王寺区茶臼山町)境内に遷座していることを紹介しました。 www.zero-position.com 茶臼山(古墳)から堀越神社方向を撮…
四天王寺さんを出て、北東に隣接して五条宮(大阪市天王寺区真法院町)が鎮座しています。 主祭神は、第30代敏達(びだつ)大王(在位:572-585年)※四天王寺創建は593年 (敏達大王の別名:訳語田天皇・おさだのおおきみ、渟中倉太珠敷尊・ぬなくらのふと…
最近、マイブームの『龍』。 過去にアップしたものもありますが、ドラゴンの写真を集めてみました。 天を飛ぶ龍 7年前、元旦の日の出、難波宮から撮影したドラゴ・・・いやスネーク、いやツチノコ雲。(id:kaedeya さん。う、うなぎ!?) 2013年は巳年…
京阪天満橋駅の南側、土佐堀通に面した永田屋昆布本店の店頭で「八軒家」という非売品の冊子をいただけます。 永田屋昆布本店 大阪市中央区天満橋京町 その中に。。。「難波往古図」をもとに描かれた熊野古道曼荼羅。 かつて存在した渡辺橋のたもと、クボ津…
四天王寺の伽藍が、真北ではなく、西に約3度傾いている、という前回記事。初めての方はそちらからご覧ください。 www.zero-position.com 四天王寺(伽藍)は夕陽を拝む鳥居を基準に設計されていた★ 古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE…
地理・地学に詳しい人には、よく知られた話なのですが、二条城は少し傾いて建てられています。 二条城と京都御所の方位 地球には二種類の北があります ● 天空の北極星の真下の地球上、つまり北極点の方向を示す『真北、しんぽく』 ● 方位磁石が指し示す『磁…
河内難波(古代上町半島)の熊野街道 平安時代から鎌倉時代にかけて盛んであった熊野詣(くまのもうで)は、 京の都の鳥羽離宮(伏見あたり)から淀川を舟で下り、 河内難波、古代には窪津(くぼつ)と云われた『八軒家、はちけんや』に上陸、 古代上町半島…
母校(小学校)と校歌 四天王寺さんの北西に隣接して、今年で創立146年の母校・大江小学校があります (1874年創立。天王寺区では最古。明治維新は1868年) 四天王寺さんから寄付された土地に小学校が建てられたそうで、写真でも境内が見えます。 大江小…
史跡や伝承は負けないぐらい多いのですが、近畿では、奈良や京都に比べて、大阪・難波の古代史は影が薄いですね。 幾たびも戦闘(戦争・空襲)で荒廃し、秀吉公の時代以降、一環して商(あきない)と都市開発を優先してきた歴史ですから 例えば、難波史の古…
先日紹介した産湯稲荷神社の西北の方角(徒歩で約5分)に東高津宮(大阪市天王寺区東高津町4−8)が鎮座しています。 東高津宮 もともと、現在の近鉄上本町駅のところに鎮座していたのですが、駅の拡張工事のため、昭和七年(1932年)、真北に約330メー…
先日の続き www.zero-position.com 産湯稲荷神社 産湯玉之井 産湯稲荷神社の境内北側、小さな鳥居をくぐって下ったところに、産湯(うぶゆ)の名の由来となった、産湯玉之井という井戸があります。 産湯稲荷神社 産湯玉之井 ご由緒には、神代の昔、大国主命…
目次 産湯稲荷神社(うぶゆいなりじんじゃ) 鎮座地の地形図(国土地理院・標高地図) 桃が池公園のネコ弁天様 御由緒と御祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) 下照比売命(したてるひめのみこと) 大小橋命(おおおばせのみこと) アラハバキ解・汎日…
縄文以来の日本列島の古代を考えるのに、大阪ほどわかりやすいところはないと思います。 私が全国どこでも遺跡や史跡をめぐる時、大阪で培った知識、やり方をベースに考察します。 何より一番に、その場所の当時の地形(海抜)を想像します。 例えば、古い時…
はじめに 四天王寺さんの #三面大黒堂。もとは南大門の西、万灯院の後ろ、梅園の中にあったのを現在の東門のところに遷したそうです。御本尊は #大黒天 右に #弁財天 左に #毘沙門天 の顔を持つ #トリムールティ。交差するダイコンが御神紋。江戸期らしいシ…
前回の続きです。 www.zero-position.com 『西畔丘前(西のほとりの丘の先っちょ)』は茶臼山古墳と書きましたが、では『難波小郡』とはどこなのでしょうか。 もちろん、古代に上町半島だった現在の大阪市内に小郡という地名は見当たりませんから、考察する…
古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE 1400年前の古墳時代末頃、現在の大阪市内主要エリア(キタ・梅田、ミナミ・難波)は上町半島西側の「海底」。 飛鳥時代まで大阪の古代史は、瀬戸内海と(旧)河内湖に挟まれた、南北に長い柄の…
昨日の続きです。 www.zero-position.com 真田幸村公 ACより(ヨッシーさんの作品) 茶臼山に赤き旗を立て、鎧も赤一色にて、つつじの咲きたるが如し 茶臼山に赤き旗を立て、鎧も赤一色にて、つつじの咲きたるが如し 「真田は日本一の兵(つわもの)。真田の…
通天閣 川底池 茶臼山古墳(茶臼山古戦場跡) 茶臼山古戦場跡 恩義を忘れ、私利を貪(むさぼ)り人と呼べるか。 「受けた恩義よりも、金や身分などの欲に溺れる者は果たして人と呼べるだろうか」という有名な名言です。 恩義を忘れ、私利を貪(むさぼ)り人…
前回・将軍地蔵尊、日羅像(碑は昭和28年、像は制作年不明) www.zero-position.com 先日、ご紹介した肥後熊本生まれの日羅(にちら)公。 半島の百済(くだら)にわたって、王に次ぐ位・二位達率(だちそち)という大変高い位に出世した人で、 敏達大王(…
長らく大阪に住んでいて、地元の史跡には慣れ親しんでいるものの、それでも見落としていること、見落としていたことがあります。 あまりにも小さな『点』、それは『(歴史として)隠されているから』なのかも知れません。 日羅(にちら)という人物をご存知…
『無傷無病』『延命長寿』災難除けの御利益で有名なサムハラ神社さん。 岡山県の美作加茂(みまさかかも)百百(どうどう)出身の実業家、田中富三郎氏が1935年(昭和10年)に、故郷の日詰山で荒廃していた小社を再興するため、大阪市西区立売堀(いた…
大阪城 豊国神社 鳥居前のバラ 大阪城 豊国神社 鳥居前のバラ 4月の緊急事態宣言下、こまごまとしたものを新居に放り込みつつ、ゴールデンウィーク最終日に引っ越しが済みました。 最後はエイヤッ!で詰め込んだ段ボールが、廊下と各部屋に積みあがって行く…
夜の住吉さん 参詣道と太鼓橋(境内は閉門中) 住吉大社は現在昼間も閉門中ですが、太鼓橋のある参詣道には行くことができます。 夜ランが習慣になった息子ら提供の写真より。 iPhone11の暗視モード、スゴいですねぇ。真っ暗な中の撮影です。 住吉大社 太鼓…
2020年4月30日、大阪城ブルーライトアップ 長男と三男の夜中ランニングより。 大阪城ブルーライトアップ 大阪市広報HP(医療従事者に感謝の気持ちを表すブルーライトアップを行います!)よりコピペ 自らをリスクにさらしながら最前線でコロナウイルス感染症…
(追記)まるで短編小説を読むような 5月に入りお隣どうし。それぞれに足が止まります。歩き始める時の読後感。 心は不思議なものですね。 幸念寺さん(大阪市天王寺区下寺町二丁目) 西念寺さん(大阪市天王寺区下寺町二丁目) ついに、あのアマビエさんが…
織田作之助の像 生國魂神社(大阪市天王寺区生玉町)の北鳥居から入ると、複数の境内社が並ぶ「生玉の杜」には、織田作之助、井原西鶴の像、芭蕉句碑(菊に出て奈良と難波は宵月夜)があります。 生玉の杜(もり) www.zero-position.com 織田作之助像(生國…
朝の通勤路は寺町の山門が並ぶ。 朝陽を背にした山門は額縁のよう。今頃の季節、彩が鮮やかな境内を切り出してくれる。 お気に入りの『絵画』をいくつか。 萬福寺 新選組 大坂旅宿跡 幕末、孝明天皇の強い要請で、一橋慶喜(後の十五代将軍徳川慶喜)、会津…